Missing:村空








*  Permit me to ask one question.  *








「『…左衛門尉大江景宗といふ者あり。その、品高き女に心をかけて、月日を送れども、言葉をさへ伝え、心の色を知るべき身にもあらねば、つつむに似たる独り寝の、壁に背ける燭の、いつまで草のいつとなく、ただ泣き居たり。』」
低い声でそこまで読み上げると、村神は顔を上げ、武巳を見た。
「まずここまでだが」
「わかんなーい」
「まだ何も考えてないだろう、お前」
あっさりギブアップする武巳を睨んで、村神は溜息をついた。
「この一文の主語は?」
「…左衛門尉大江景宗」
「ああ。左衛門尉は名前じゃないからな」
「はあ」
眉間に思い切りしわを寄せ、難しい顔をしながら武巳は曖昧な返事をした。
「真下の『その』は大江景宗のことだ。大江景宗が高貴な女に思いを寄せて、月日を送るけれど。ここまではいいな?」
「ふんふん」
わかっているのかいないのかもよくわからない顔で、武巳は返事をする。
「次、『言葉をさへ』の『さへ』は添加の副助詞。『〜までも』みたいな訳でいいんだが、」
教科書を指で追って武巳に示しながら、村神は続ける。
「『色』は様子。女の心の様子のことだな。『知るべき』の『べき』は何だと思う?」
「助動詞?」
「それは当たり前だ。意味は?これは連体形か?連用形か?」
「えー…と。連体形。意味は、義務」
資料集を覗き込みながら、武巳はたどたどしく答えた。
武巳のほうは見ず、村神は続けた。
「ここは義務じゃなくて、可能推量」
云って、助動詞の意味の書かれた欄の、義務の隣に鎮座している可能推量という文字の傍に指を置く。
「義務で訳すと、大江景宗は自分の恋心を女がどう思ってるかを知るべき身分ではないので、になる」
「おかしくないよ別に」
「明らかにおかしい」
そうかな、と首を傾げる武巳を一瞥して、村神は椅子の背もたれに体を預けた。
「お手上げだ」
「えっ」
「おい空目。交代しろ」
背後を振り返り、村神は大人しく本を読んでいた空目を呼んだ。
空目は視線だけを上げて村神を、そして武巳を見る。
「古典は俺の管轄ではない」
「俺にはもう無理だ。だいたい俺に、他人に何かを教えてやれるようなスキルはない」
「…」
仕方ない、というように渋々立ち上がり、空目はつかつかと二人に歩み寄った。
「ご、ごめん…村神、陛下」
申し訳なさそうに小さくなって、武巳は苦笑する。
「どこだ」
村神の隣に立ち、教科書を覗き込みながら、空目が問い掛けた。
これには武巳がその箇所を指差して答える。
「ここ」
「『心の色を知るべき身にもあらねば』?」
「そうそう」
村神が椅子を引いて、座るよう促した。空目は勧められるままに、そこへ座った。
「前後関係を考えろ、近藤。そうでなければ、心情を想像する。これは俺達の中ではお前が一番得意な筈だが」
「心情を、想像」
「或いは、常識を身につけろ」
冷たく云い放ったのを聞いて武巳は一瞬怯むが、空目は構わず続けた。
「意味の種類にだけこだわるな。『べき』が義務なら、知るべき身分ではない、になるが、そんな身分がどこにある?」
「あ。ない、よな…、そんなの」
「そう。だから、可能推量。知ることが出来る身分ではない、と訳す」
「はあ。そうか…」
「逐語訳に捕われると同じことを繰り返すぞ、近藤。これは、物語だ。それを失念してはいけない」
それだけ云うと、空目も背もたれに寄り掛かった。
「恋心を秘めて隠すかのような独り寝をして、壁に向けて立つ燭の元で、いつまで草のいつまでも、ひたすら泣いていた。が、あとの訳」
「いつまで草ってなに」
武巳が問うと、空目が短く答え、村神が続いた。
「木蔦」
「あとの『いつとなく』の序詞だ。訳にないほうがわかりやすそうだな」
「ふゥん。この二人は最後、ちゃんと結ばれる?」
一足飛びで武巳は物語のラストまでたどり着こうと、二人の顔を交互に眺めて尋ねた。
「ああ。結ばれる」
空目があっさり答えたのを見て、また村神は溜息をついた。
「…読めよ。書いてあるだろ。『一期夫妻の契りにて侍りけり』」
「わっかんないもーん」
これぐらいわかってくれ、と思ったが云いはせず、村神はちらりと空目を見た。
それに気付いた空目も村神を見て、だが顔を見合わせるのが嫌で村神はすぐに顔を背けた。
「じゃあ陛下と村神も『一期夫妻の契り』を結んだ仲?」
にっこり笑んで、武巳は二人を見回しながら、軽口を叩くようにそう云った。
村神は渋面を作り、改めて空目をちらりと見ると、武巳が思うよりあっさり返答をした。
武巳にというよりは、空目に向かって。
「『一期』はごめんだ。そもそも俺はお前のために百日参籠だってしないしな」
「したところで無意味だ。神の加護などなくとも結ばれる者は結ばれる」
冷たい返答を鼻で笑って、村神は首を傾げている武巳を見た。
「続きやるぞ、近藤。二人がかりでも理解出来ないなら諦めろ」
「何を?」
「単位」
「いやだっ」
仕返しのような村神の軽口に乗って返し、武巳は教科書のページを繰った。
















********************
『三国伝記』より




2006.4.23
2006.4.23
2006.8.3