「村…、」 * 一言言えば済む話 * 言いかけて、空目は口を閉ざした。 呼びかけようとしたその瞬間村神が立ち上がり、武巳を呼んだのだ。 「え。何」 きょとんとして、武巳は答える。 この部室には今空目、村神、武巳、あやめ、亜紀の5人がいる。 「ちょっと来い。手伝え」 「え?あ、うん」 机の上に積んだ本の上に手を置いて、横柄に言い放つ村神に勢いで返事をして、武巳は慌しく立ち上がる。 「ど、どこ運ぶんだ?」 「何でどもる」 「や、な、何でも」 「…社会科準備室だ。ちょっと遠いが」 「げ」 ちょっとじゃなくて随分遠いじゃないかと思いながら、武巳は顔を顰めた。 「頼めるか?」 改めて、村神が問う。 だがそんなふうに問われると武巳も弱くて、あっさりと頷いてしまった。 「勿論!」 そんなふたりの様子をうすらぼんやりと空目が眺め、そしてその空目を亜紀が眺める。 あやめは自分を除いた人間を全て見回し、部屋の隅に大人しく鎮座している。 「……」 村神はそんな周りには全く頓着せず、本を抱えて武巳と部室を出た。 「………仕方ないよ。恭の字じゃ」 ふう、と息を吐いて、亜紀はぼそりと呟いた。言外に、空目じゃ明らかに力不足だと言っている。 そんな亜紀をちらりと一瞥し、空目は読書に戻った。 1時間弱程した頃、武巳が独りで部室に戻ってきた。 「…村神は?」 浮かんだ疑問を、亜紀がそのまま武巳に問う。 「うん。生徒指導に捉まった」 「生徒指導?」 村神とは縁が遠そうな言葉が出てきて、亜紀は眉を寄せた。 ふ、と空目も顔を上げる。 「あ、いや、別に村神が何かしたとかじゃなくて。なんかさ、部費何に使ったかとか細かく書いて提出しなきゃなんないだろ?あれ、うちの部出してないらしくて。その催促っていうか督促っていうか」 「で、なんで村神だけ?」 「俺、あの先生苦手でさー。逃げてきた」 「……」 それで村神だけ売ってきたのかと呆れて、亜紀は黙った。空目は既に読書に戻っている。 暫くした頃、村神が数枚のプリントを持って帰ってきた。 「おっかえりー」 武巳が明るい声で出迎える。この態度に亜紀がまた呆れたのには、勿論気付いていない。 「…ああ」 変わらない様子で返事をすると、村神は椅子にどかりと腰を下ろし、机の上にプリントを広げた。 「それが会計報告書?」 「ああ。ちょっといいか、木戸野」 「ん?うん」 何気なく返事をして、亜紀は村神の隣に移動した。 「村神」 空目が、村神を呼んだ。 「後にしろ」 村神の返事はこれでもかという程素気無い。 さほど気にした様子もなく、空目は再び本に視線を落とした。 「……」 そこから不穏な空気を感じ取って、亜紀も武巳も、村神と空目を交互に見た。 「…ね、村神。恭の字と喧嘩でもしたわけ?」 「いや?」 「ならいいんだけど…」 それにしたって空目を無下にしすぎだろうと思いはしたがそれ以上踏み込むのも無粋で、亜紀は目の前の会計報告に目を落とした。 「わかるか?部費の使い道」 「ん。おそらくは」 頷いて、亜紀は立ち上がり、部屋の隅の本棚からファイルをいくつか持ち出した。 報告書の作成に、それ程の時間はかからなかった。 完成したプリントを手に、村神は立ち上がる。 「…一息ぐらい入れたらいいのにね。それからだって遅くない筈でしょ?」 「一息つくのだって、持っていってからでも遅くないだろ」 「なんだよー、つれない奴だなー」 一息入れるも何も、書類作成には一切関与しなかった武巳が亜紀の次に非難の声を上げる。 「何か買ってきてやるから。飲物」 「え。やったー」 ふ、と口角を上げて村神が言うと、武巳は諸手を挙げて小学生のように喜んだ。 「…なんでそう近藤に甘い言葉をかけるかね」 「本運ぶのも手伝ってもらったしな」 言って、村神は笑んで見せた。 これしきのことでそこまで喜ぶ武巳と、武巳を甘やかしている村神に、亜紀はそっと溜息を落とす。 普段から全てに無頓着な空目が、珍しくもそんな呆れる亜紀を見て、それから笑んでいる村神を見た。 その空目の眉尻が下がったように見えて、あやめの眉尻まで一緒に下がってしまった。 「じゃ、行ってくる」 「いってらっしゃーい」 「待って、村神」 行こうとする村神を武巳は喜んで送り出そうとしたが、亜紀がそれを止めた。 「恭の字連れて行きな。独りで5人分は大変だと思うよ」 ついでにその険悪そうな雰囲気もどうにかしてきてくれと、亜紀は言いはしないが多大に思って、言い放った。 一瞬、空気が凍った。 本人達にそんなつもりがあったのかどうかは知らないが、少なくとも亜紀と武巳はそう感じた。 あやめはおろおろと、空目と村神を交互に見返している。 「…いい。平気だ」 その一瞬の間の後で無下に断り、さっさと村神は部室から出て行ってしまった。 遠ざかる村神の足音を、4人は黙って聞いていた。 「何。恭の字、村神に何したわけ?」 あまり他人事に首を突っ込むのもどうかとは思うが、と苦り切った表情で亜紀が問うと、空目は亜紀を一瞥しただけで窓の外に視線を送った。 「………行くなとか、言ってみなよ」 ぽつりと、武巳も小さく進言してみる。 「…何の話だ?」 空目が武巳に視線を移し、首を傾けた。 「何の話って、そのままなんだけど」 あはは、と乾いた笑いを浮かべつつ、武巳は尚も言う。 「なんかさ、陛下、村神に話あるみたいじゃん。村神に聞いてほしい話なら、ついてくなりなんなりすればいいのに」 「……」 空目はじっと武巳の話を聞いていたが、ふと時計に視線を移した。 村神がここを出てから数分も経っていないだろう。 だが足音が遠ざかっていく音はしっかり聞いているし、今から追いかけて本当に追いつくどうかわからない。しかも行った方向もあまりはっきりしない。 「…村神に聞く気がないなら、いい話だ」 「まーたそんなこと言ってー」 口をへの字に曲げ、武巳は怒った表情を作った。本当に怒っているのではないことは明らかだが。 不意に黙って亜紀が立ち上がった。 「ん?木戸野どっか行くの?」 「ご不浄」 やけにかしこまって、そしてやけにきっぱりと亜紀は言い放った。 「ふうん。……あ。そっか。じゃあ俺は…図書室行かなきゃ。あやめちゃん、ついてきて」 「え、…あ、はい……っ」 亜紀の意図に気付いたのか、武巳もあやめに声をかけて立ち上がる。 村神はどうせここに戻ってくる。 空目に追いかける気がないのなら、村神が帰ってきたときにふたりになれるようにしれやればよいのだ。 そうして亜紀に続いて武巳たちもそそくさと出て行ってしまったので、空目は部室に独り取り残されてしまった。 「……」 亜紀たちの意図にも勿論、気が付いている。 このまま自分も立ち去って、村神と会わずにいることも出来るだろう。 さてどうしたものかと、空目は一瞬考えた。 「……あ?」 部室を見渡して、村神は不機嫌に顔を歪めた。 「……なんでお前だけだ」 奥にいる空目を見据えて、村神は入り口からあまり入ろうとしない。 「皆どこかへ行った」 空目は簡潔で適当な返事をする。 「……そうかよ」 仕方がない、とばかりに村神はやっと部室に踏み込んできた。 買ってきた飲物をテーブルの上にどかどか置いて、空目とは少し離れた位置に座る。 「村神」 村神が座るのを見届けてから、空目が言い放った。 「…………何だよ」 充分に間をおいてから、やっと返事をする。 「ここまで続くとさすがに気になる。…何故俺を避ける?」 「………」 「…村神?」 空目はゆっくりと村神に歩み寄り、ぐいとネクタイを引っ張った。 座ったままの村神は、その空目を睨むように見上げる。 「何故?それ訊くのか、お前は?」 ふんと鼻を鳴らし、村神は口の端を歪めた。そして空目の手を払い除け、視線を外す。 「……すまない」 言って、空目も溜息をついた。 溜めていた言葉を漸く吐き出したかのように、空目はふらりと村神の傍を離れる。 「それは、何に対しての謝罪だ?」 「お前が気にしていること全てに対してだ。…先から俺が謝るべきと感じていたこと、それから、今の失言と。他にもあるなら、それにも」 「随分と、いい加減な」 言ってから、村神は笑んだ。漸く角の取れたような笑顔を空目に向けた。 「もっと早くに謝罪するつもりだった。だがお前が機会を与えなかった」 「…怒ってたんだよ。俺は。それなりに」 「…許せ、村神」 勢いのない口調でそう告げると、空目は少し屈んで、村神と唇を合わせた。 「ばかやろ…、これが謝罪のつもりか」 「……」 言いながら、両手で村神は空目の頬を包んだ。 そして、再び口付けた。今度は、深く。 「…、…ん」 「……許してなんかいるさ。とっくに。怒んのなんか、もうめんどくさくなってたんだ」 「なら、村神、何故…」 腹の辺りに纏わりついてくる村神の腕に促されて、空目は村神の膝の上に座った。 「怒ってはもうなかったけど、…謝ってほしかった。だから待ってた」 「なのに機会は与えない、と」 「…ごめんって」 くすりと笑んで、村神は空目の頬に、自分の頬を擦り付けた。 ふう、と息を吐いて、空目は村神のほうに体の重心を傾けた。 「…なかなか疲れるものだな」 「喧嘩か?」 「仲を繋ごうとするから、余計に…」 独り言のように言う空目の言葉を傍で聞きながら、村神は内心で何やら安堵に似たものを感じていた。 「……で、で、あれは結局何だった訳?喧嘩?仲直りしましょーね村神くん陛下様、って俺らは仲取り持ったの?」 興味津々な様子で、武巳は亜紀に疑問を吹っかけた。 亜紀は露骨に嫌そうな顔で、それでもきちんと対応をする。 「そう見えたけどね。私にも」 「でもさ、なんか…陛下さ」 「………」 「村神に構ってもらえなくて拗ねてる、みたいな。村神が俺らにばっかり構うからやきもちやいてるみたいな…。…なんかさ、そんなふうに見えたの、俺だけ、かな…」 「………………」 認めたくはないがそんな風に見えなくもなかったかもしれない、と、亜紀は無言のうちに武巳の言葉を肯定していた。 「…どうにかならんかね、あいつら…」 「いつも言葉が足りないんだと思うんだよな。ふたりとも」 多分、一言でいいから、言いたいことを言えれば見てるこっちもこんなにやきもきしないんだろう。 亜紀はそんなことを思いつつ、ふん、と鼻を鳴らした。 「で、結局何の喧嘩だったんだろ。あやめちゃん知ってる?」 「え、………ぁ、」 急に問いかけられたことに驚いて、あやめは慌てて首を振った。 「ふうん。そっかー」 つまんないの、と武巳が呟く。その半歩後ろであやめは小さく謝った。 「どうでもいいでしょ。もう」 それに、いつまでもあんなやつらのことをぐだぐだとは言っていたくない。 犬も食わない何とかに悩まされるなんてまっぴらだ。 END **************** もー書き始めた当初から何が書きたいんだか定まっていなくて…。 書いてたら定まるかと思いきややっぱり定まらなかった。死 嫉妬がメインの話にしたいと途中思った筈が、謝罪がメインの流れになってしまっていたのでそこから修正も出来ず。 なんだかな…。 2007.8.28 |