「ああ、くそッ」
云って、村神は枕を投げた。
















*  覚えていない  *
















「………」
目が覚めてまず思ったのは、何故自分がこんなに布団からはみ出して寝ていたのか、だ。
寝相は悪くないつもりだし、今までにこんなにはみ出していたこともない。
何だと思って体を起こすと、おそらく原因と思しきものを見つけた。
空目がその薄っぺらい体で、布団を占領している。
そこで急浮上した問題は、何故空目が村神の布団の中で安眠を貧っているかだ。
見たところ、空目は合わないサイズの村神の服を、合わないなりにきっちり着込んでいる。寝間着代わりに。
自分の服の具合や布団を眺めて、とりあえず何事もなかったのであろうことを確認したあと、村神はもう一度空目を見た。
「…空目か?これ」
根本的な問題に戻ってみるが、やはり間違いなく目の前に横たわっているのは空目である。
「…」
村神は少しだけ考えて、空目の肩に手を置いた。
「…空目」
「……」
少し呼んで肩を軽く揺すってみただけで、空目はあっさり目を開いた。だが薄くぼんやりとで、何を見ているかはわからなかった。
「…空目?」
もう一度呼んでみると、空目はやっと村神を見た。
「…はよ」
「……、あぁ」
酷く大儀そうに返事をして、空目は髪を掻き上げた。
その仕草を見て、それから村神はゆっくりと話題を切り出す。
「…お前。何でここに居る」
「……」
まだ半分夢の中にいるのではないかと思うような瞳を村神に向けて、空目は低徊した。
「…昨日。羊羹を受け取りに来いとお前が言うから来た。だろう?」
部屋の端に置いてある鞄に目をやって、空目は呟くように言った。
そういえば学校帰りにそのまま空目は寄ったのだったな、と思って、村神も鞄を見る。
「…でもそりゃ今お前がここで寝てる理由にはなんねェだろう」
村神がじろりと見ると、空目はまた考えに沈んだ。
「お前の母親から羊羹を受け取って、それから神社に寄った、だったな」
順序立てて思い出そうとしている空目に倣って、村神も考えを巡らせ始めた。
「……叔父さんに会った、よな?」
背筋が薄ら寒くなるような感覚を俄かに覚えながら、村神は呟いた。
「ああ」
空目もぽつりと返す。
「……」
大きな掌で目元を覆って、村神は大きく息を吐き出した。
なんだってこう叔父は厄介事、並びにその予備軍にことごとく絡んでいるのだろう、と思った。生来トラブルメーカーの性質でも備わっているのではあるまいか。
「…叔父さんに引っ張られてって、奥に行ったな?」
「ああ」
「酒をつげって、言われて。つまみだとか言って羊羹噛ってたな確か」
「…あァ」
どうでもいいくだりまで思い出して、村神は眉をしかめた。
「……俺も飲んだか?」
そしてそこら辺から記憶が怪しいようで、自信なさ気に呟いた。
空目の視線が宙を泳ぐ。
「…強かにな」
そうは言うがなんとなくはっきりしない口調で、空目は一度目を閉じた。
「…嘘だろう。泥酔して、それからどうやってここまで戻ってきたっつーんだ」
「…」
ゆっくり目を開いて、そしてやはりゆっくりと体を起こし、空目は村神と視線を合わせた。
「…そうか。あれは泥酔していたんだな」
平生通りの無表情で言って、空目はそのまま視線をそらした。
「な、何をしたんだよ俺は」
「言う程のことでもない」
「気になるだろう。言えよ」
「…」
「……」
言えと促した割には聞くのがなんとなく怖くて、だが村神は空目から目を離しはせずにいた。
「少し、饒舌になっていたようだな」
「…はあ」
「やけに絡んできたし、…だが言動は一応はっきりしていたし、筋も通っていたぞ」
「いや、それ、何のフォローにもなってねェから…」
そもそもフォローのつもりすらなかったのであろう空目は、微かに眉根にしわを寄せると、続けた。
「他は特に。普通に歩けていたようだし、…ああ、後は吹いたら飛ぶような適当な理由をつけて俺をこの家に連れ戻したぐらいか」
「それって、つまり、その…、あれか」
口を挟んでおきながら、村神は端切れ悪く喋った。
「…事に及んだのか」
「いや。未遂だ」
「…」
何でもないように空目はあっさり返すと、自分の服を手繰り寄せ始めた。
それでも充分衝撃を受けた村神は、きゅっと眉間にしわを寄せて、その空目の動作をぼんやり見ていた。
「…未遂、」
どのような状況でそうなったのか、と訊けば空目はやはり答えてくれるだろうが、そんなことを空目の口からは聞きたくなくて、村神は自分で考えることにした。
「…………」
悪いことばかり浮かんできて、村神は頭を抱えたくなった。
そんな村神を尻目に、空目は立ち上がる。
「…どこ行くんだ」
少し混乱していた村神は、普段なら訊かないようなことを訊いた。言ってしまってから、何をわざわざそんなことを訊いているんだ、と思った。
だが空目は平生と変わらない。
「どこにも。着替えるだけだ」
「…そうか」
何でもない返事が返ってくるから余計村神はいたたまれなくなって、そっぽを向いた。窓の外はきれいに晴れ渡っていて、小鳥の囀りさえ聞こえる。
そんな爽やかさとは無縁なこの部屋の空気を身に感じながら、村神は背後からする、衣擦れの音を聞いていた。
今の村神にはあまりいい環境とは言えなくて、少したじろいだ。
「…どうした?」
全て見透かしていそうな、だがどこかとぼけた調子で空目が言って、そんな村神の隣に座った。着替えは終わったらしい。
「…二日酔い」
訊かれてから思い付いたようなことをいって、村神は空目をちらりと見た。
そんな村神にそっと顔を近付けて、空目は掠めるように唇を合わせる。
「…何だよ」
「別に」
「……」
「元から寝不足のようなことも言っていたな」
少しだけ話を戻して、空目は立ち上がった。
「帰る」
その言葉通り帰るつもりらしい空目が言って、ドアに手をかけた。
村神も大儀そうに立ち上がる。
「送る」
「…」
「家までな。だから茶と茶菓子をお愛想で出せ」
「……」
意味がわからない、と思いながらも返答はせず、空目はすたすたと歩いた。村神もその後に続く。
「…そういえば木戸野が」
どういう関連でかはわからないが、今の会話の中の何かをきっかけに思い出したように、空目が口を開いた。
「木戸野?」
「あァ。安い挑発に乗る程自分は馬鹿ではない。と、お前に言えと」
「言ったのか?」
「あァ」
「…」
心辺りがないとは断言出来ず、村神は一旦黙った。
だがその話で村神もあることを思い出す。
「そういやな。俺もあるぞ。伝言。日下部からお前に」
「…何だ?」
「好きなら好きと言わないと相手が逃げる、とか何とか…。やたら長かったから大半忘れた。悪い」
「…。…そうか」
少しも悪びれた様子がなく謝る村神と、それを意にも介さない空目はそのまま少し無言で歩いた。
無言で歩きながら、お互い全く違うことを考えていた。
初めから明らかだが、空目には亜紀の伝言も稜子の伝言もどうでもよかったようで、そこら辺の思考はとっくに放り出していた。
空目程無頓着にはなれない村神は、まだぐだぐだと伝言について考えていた。
自分達が二人でいることが、他の人間に某かの影響を与えるなどと考えてはいなかったし、いざ気付いてしまうとそれがどうしようもなく嫌だと思えた。
「…くそ、」
村神が立ち止まると、空目も少し先で止まった。そして振り返る。
「…なんで物事にはいらないものまで付随してくるんだ?」
村神が呟くと、空目は少しの間をおいて、返答した。
「それはお前が、自分で思っているより孤独ではないということだ」
「…………」
「独りならおおよそ全ての物事が、上手くいくかは別として、殆ど思ったとおりにはいくだろう。独りで出来ることならな。自分の力量は自分で大体は把握出来ている筈だから」
何を言い出したのかわからなくて、村神は黙って空目を見つめた。
「思う通りに事が運ばないのは、周りに他人がいるからだ。他人の力量など俺もお前も知らないし、だから予想など出来もしない。誰がどこで邪魔をするか。誰がどこで幸いとなるか。考えたくもないなら孤独でいればいい」
「じゃあ俺達は、他人と生活を共にする以上は、ずっと干渉を受けながら生きてかなきゃなんねェってことかよ?」
「そうなる」
短く返事をして、空目は視線を逸らした。
「人は早々孤独になれるものではない。『いつか目の前から去るかもしれない』人間になどわざわざ構う必要など無い」
話がどこに帰結しようとしているのかなんとなくわかってきて、村神も空目から視線を外した。
空目の言葉は続く。
「どうせやるなら『去った』人間を追い掛けたほうがまだ…」
「…まだ?」
静かに繰り返して、村神は続きを待つ。
「……まだ、相手の価値がわかるというものだ。追う程の価値が見出だせるかどうか」
ならお前は俺を追ってくれるのかと、村神は訊こうと思ってやめた。それではなんだか下世話で頭の悪い男のような気がしたからだ。考えるだけでなんとなく胸糞が悪くなる。だから、やめた。
まるでそんな村神を見透かしたような視線を投げて寄越して、空目は口を開いた。
「お前は『飼い犬』だ」
唐突な言葉に、村神は顔を上げた。
腹を立てたわけでは無いが、眉根にしわが寄る。
「『悪い犬』だが、飼い主の手を噛む度胸も無い、自分を繋ぐ綱を噛み切って逃げる勇気も無い、愚かな『飼い犬』」
「…」
自分らの学園の魔女を思わせる、可笑しな例えに村神は反論は出来なかった。しようがない。その通りなのだから。
「この『飼い犬』は逃げない」
やけにはっきりと空目は言い切る。
「…何故?」
まるで憤然と、村神は問う。
「…『飼い主』に、綱を放す気が無いから」
何でもないように言った空目はそのまま村神に背を向けて、再び歩き始めた。
「来るなら来い。生憎愛想は無いが茶と茶菓子なら出す」
「…」
踵を返す瞬間、空目が少し口の端を歪めたように見えて、村神の眉根に、更にしわが寄った。
空目は今、笑ったのだろうか。
「…愛想も出せよ。ケチくせェな」
空目の笑った顔が少しも想像出来ないことをかけらも不思議に思わず、村神は悪態をつきながら空目の後に続いた。
『飼い犬』は、綱を引っ張られれば、『飼い主』に大人しくついていくしかあるまい。
『飼い主』に逃がす気は無いらしいし、『飼い犬』だって逃げる気は無い。
度胸も勇気も無い愚かな『悪い犬』は、あまり難しいことは考えてはいけない。
死ぬまで、或いは死んでも綱に引きずられていればそれでいいのだと、村神は思った。




















END




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前作『むすびあわせ』の続きにしようと思って書き始めたのはいいけれど、またもや書き出してからが長かったので話が二転三転してしまった気がする。ああ。
まだ続けたいと実は思ってたりするけれど、無理かもしれない。
でもま、頑張りたい。




2006.8.3