「お前は俺ではない」
「当たり前だろ」
「そうだな、当たり前なんだ。それが一番の問題で、論点だ」












* 語りたがり * 












「それは何故だと思う?何故、相手は自分ではないのか。何故それが当たり前として万人の概念として有り得ることが出来る?」

「…」

「どこかにはいるだろうな。今日は自分だが、明日には相手になっているかもしれないと考えたら不安で仕方がない、もしくは自分は自分だがもしかしたら相手も実は自分かもしれないと云う人間も。だがそれは『異常』だとみなされる。そうだな?それは概念による偏見だ」

「……」

「俺は俺でお前では決してない。お前も俺ではない。概念が支えているから、納得は出来るだろう。だがそれをどう証明する?手段は何か?」

「………」

「俺がお前ではないことはその概念が支えている。では概念を支えているのは何かを考える。背理法でも使うか?要素という要素を消去法で消すか。効率は悪いし見逃しも多いがな。見逃しの方が多いと云ってもいいかもしれない。…明らかに間違っていることがわかるだろうか。では、…概念を支えているものは何だ?」

「……何なんだ、」

「倫理だ。この一言で片が付く」

「…………」

「それ故に、この概念は深くは考えてはならない。そして意識してはならない。他人は他人で、俺ではない。その概念が崩れると、倫理も崩れ去るだろう。倫理は、『人間が人間らしく在る為』の学問だと俺は思う」

「……………」

「人間が人間らしく在る為には、お前が俺であってはならない。意識を共有し合っている個体を見たことがあるか?あってはならないのだからない筈だ。俺は俺であって決してお前ではない。ましてやお前も俺ではない。この概念は倫理を支え、倫理も概念を支えている。倫理は『人間が人間らしく在る為』の学問であるから崩壊は許されず、個体はその破綻を見付けても決して指摘してはならない―――――――――
































END




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デ タ ラ メ ば っ か し 。
いやになる。
MEMOからもってきました。




2005.12.26
2006.6.6