「仲睦まじいってさ。ああいうことを云うんだよな?」
















*  むすびあわせ  *
















窓の外を眺めながら呟く武巳を、亜紀は正気を疑うような目で見た。
亜紀の妙な反応に、稜子が首を傾げる。
「どうしたの、亜紀ちゃん」
「近藤が一体何を口走ったのかと思って」
「一体何って、勿論あのふたりのことだよ。ほら、あそこにいるのがここから見えるんだぜ」
云って指差す武巳の指先を眺めて、それから指す先を眺めて、亜紀は目を細めた。稜子はよく見ようと窓に寄る。
「魔王様と村神クン」
「そう。ベンチに座ってるだけでもなんか親しさが滲み出てるよな」
「あれだけ離れてて?」
ベンチの、向かって右端に座る空目と左端に座る村神を胡散臭そうに眺めて、亜紀は冷たく云い放った。
「わっかんないかなー、木戸野?離れてるのに全然他人とか仲悪いとかそんなの感じさせないじゃん?」
やたら演説ぶって見せる武巳に、亜紀は眉をひそめた。
そして呟く。
「くだらないね」
その言葉に、今度は稜子が眉尻を上げた。
「恋愛も友情も頭から否定するのはどうかと思うよ?」
憮然として云う稜子を、亜紀はちらりと見た。
「レンアイがしたいならすればいい。ユウジョウを育みたいならそれもいい。片っ端から否定したりなんかしないよ、私は」
そう云って武巳と稜子を交互に見遣った亜紀に矛盾を感じて、武巳は口を挟んだ。
「くだらないって云ったじゃん」
「『あれ』があんた達には友情や恋愛に見えてしまうんならそれはそれでいいんだけどさ、」
「違うの?」
稜子が首を傾げる。
亜紀は大儀そうに溜息をついた。
「私にはそうは見えない。聞く限りあいつらはまともな人間関係なんか持ったことがない。いつもふたりだったんだと思うよ。物理的にだけでなく、精神的にも。もっとも、本当にお互いにお互いの存在を認め合ってたのかどうかは怪しいけど」
膝の上に乗せた本の角を指先で撫でながら、亜紀は淡々と続ける。
「人との距離の取り方を知らないんじゃないかと、思うときがある。わからないままでふたりで居続けて、でも村神はある日気付いた。気付かされた。距離を取り過ぎてたことにね。だから恭の字は大怪我を負ったんだと思った筈。そして一生懸命距離を詰めた。恭の字は何があろうと他人の為に自分をどうこうしたりしないからね」
静かに話を聞きながら、武巳と稜子は椅子に腰掛けた。
「でもそうしたら今度は距離を詰め過ぎて近付き過ぎてしまった。それでもよくわかってないんだよ、村神は。比べる対象がないから。村神には恭の字しかいないから。知識として、道徳とか理性とか倫理とか、そんなものなら備わってるんだろうけど、そんなものが役に立つもんか」
武巳と稜子をじろりと見渡して、亜紀はこう締め括った。
「そんな頭の悪いあいつらなんかの『あれ』を恋愛だの友情だのと呼ぶのは間違ってる。あんなのは、ただの惰性だ。近付き過ぎてぶつかってしまったただの馬鹿だ。だから私は何回だって云う。『あれ』はくだらない」
暫く黙って視線をあちこちに這わせた後、武巳は難しい顔をして呟いた。
「暴論だろ?」
「そうだよ」
亜紀はあっさり認める。
「はっきりとした定義が出来る事象じゃないからね。ただの私の想像で、妄想。私は気に入らないけど、本人達がよければいいんじゃない?」
今までの話を簡単に覆すと、亜紀は膝の上の本を開いた。
「じゃあ私も論を立てる。あのふたりはちゃんと好き合って、傍に居るんだよ」
膝の上で両手をぎゅっと握って、稜子は力強く、だがどこか独り言のように云った。
















ベンチの隣に座った空目に視線をやって、村神は目頭をおさえた。
「…泣いているのか」
「そう、見えるか、お前」
見もしないのに云う空目に眉根を寄せて、村神は顔を上げた。
その村神の目は少し赤い。
「なんで俺が突拍子もなくいきなり泣く」
「なにも泣くのが悲しいからというだけでもない」
そう云われて、村神は口を噤んだ。
中らずといえども遠からず、といったあたりだろう。
昨晩の夜更かしが関係しているのか知らないが、今日はやたらと目が疲れていて、乾いているかと思えば突然潤んできたり調子がどこかおかしかった。
徹夜で読書などするものではない。
そうは思うのだが、ついしてしまう自分がどうかと思わないでもない。
「…気にするな」
特に話題にするようなことでもない、と思って、村神はその一言で打ち切った。
そんな村神を少しだけ眺め、空目は膝に乗せた本をベンチの上に置き、村神のほうへ擦り寄った。
ぎょっとして、村神は少し後ずさるが、元からベンチの殆ど端に座っていたので、それほど下がれずに空目の接近を許してしまった。
「な、んだよ」
喧嘩でも売るように、村神は空目を見据えた。
だが空目はそんなことには全くお構い無しに、顔を近付け、村神の頬へ指を滑らせる。
「目が赤いな」
「…だから、それは」
「徹夜で読書でもしたか?」
「悪いか、」
「読んだか?」
「…………『悪魔考』?」
数瞬してから村神が答えると、空目は静かに頷いて、村神の瞳を覗き込むのをやめた。
「一応な」
「なら返せ。俺が読む前に貸したものだ」
「そ…うだったのか」
それを云う為だけにこんなに接近したのかと思うと何故かげんなりして、村神は間抜けな返事をした。
「そうだな。そういえばそんなことも云ってたか」
ぎこちなく返して、村神は空目から目を逸らした。
「ああ」
空目の返事を聞いてから、村神は後ろを振り返った。
部室からここが見えるのはわかっていた。たまに武巳らが覗いているのも知っている。
その窓にカーテンが引かれているのを確認して、周囲に誰もいないのも確認して、村神は空目に向き直る。
せっかく近寄ったついでだ、と云わんばかりに空目の腕を掴んで薄い抱き込めた。
「ん。村神」
「良い陽気だ」
「…」
全く関係のないことを云って、村神は空目の髪に顔を埋めた。
返す言葉が見当たらず、空目は黙る。
「…なんかな、今思い出したんだが」
「ん」
「芋羊羹が大量にあるんだと。貰いに来いってお袋が」
「…今云うのか」
「覚えてるうちに云わねェと忘れんだろうが」
何故か憮然として云うと、村神は空目の瞼に唇を寄せた。大人しく瞳を閉じる空目の鼻先に口付け、最後に唇へ、柔らかく口付けた。
「…なら今日の帰りにでも行く。本のついでだ」
「おう」
短く返して、薄っぺらな体をぎゅうと抱き締め、空目の顔を肩口に押し付けた。
「俺に抱き着いて、お前は何を思っているのかと、思うときがある」
「…スキンシップだろ、ただの」
素っ気なく返すと、村神は空目の体を解放した。
「スキンシップしてどうなる?」
「どうなるって、お前」
「ではスキンシップに何故こうする?」
「…」
「何故かと考えたことがあるか?無意識で安堵したり嫌悪することに理由を求めようとは?」
子供のように質問を次々投げてくる空目に些か辟易しながら、村神は眉根を寄せた。
「そんなこと考えねェよ。必要がない」
「ある。何かを満たすために、よくわからないが抱擁するのだとしたら?理由がわかれば直接満たすための何かを出来るかもしれん。こんなまどろっこしい手など使わずとも」
顎に指をかけ、思案しながら空目はそう云い切ると、村神に目配せした。
「どう思う、村神?」
「…訊くな、んなこと。お前のほうが理論構築力があるのは明らかだ」
「俺に答えが出せるならとっくにやっている」
「近藤か日下部に頼めっつーんだそういうことは」
「観念と偏見の凝り固まった、役に立たん意見にしかならんのが関の山だ」
辛辣な言葉をあっさり吐くと、空目は部室の窓を見た。相変わらずカーテンが引かれていて、中の様子はわからなかった。
「…わかった」
「ん?」
村神が呟くと、空目は村神を見た。
「お前は客観的にものを考えるからいけない。感情は、本人の主観で決まる」
「どういうことだ?」
やはり子供のように首を傾け、空目は訊く。
「…例えばだ。俺がいつでもお前の傍にいたいとする。それを恋と呼ぶか?友情と呼ぶか?それとも、弱者に対する庇護か?」
「…」
「それを決めるのは俺であって、お前じゃない。そして、俺は俺の都合の良いようにそれを位置付けする。例え間違っていようがな。そういうことだ」
半ば投げやりなように云い放って、村神は背もたれに身を預けた。
「俺はお前が好きだ。それじゃあ駄目かよ?」
「…論点が全くズレている」
そう返しながらも、空目はあまり理解出来ていないような顔をしていた。眉根にしわを寄せる様子もどことなく、何もわからない幼子の様だ。
「…まあ、いいよ。それをわからせてやるのも俺の仕事だ」
「…いつからだ」
「さあな」
云って、村神は空目の髪を撫でた。
















勢いよくカーテンを開けて、亜紀は鼻を鳴らした。
「いつまでああしてんのかね。年寄りかいあいつらは」
云い放った亜紀の後ろで、稜子が小さく笑った。
「そんなこと云って、亜紀ちゃん。気になるんじゃない」
「素直じゃないんだからー」
稜子に続いて武巳もどこか茶化すように云って、亜紀は眉間にしわを寄せて露骨に嫌な顔をした。
「…気分が悪いね。あいつら」
「理不尽って云うんだぜ?そういうの」
武巳の言葉を全く無視して、亜紀は窓の外のふたりを眺めた。
声は聞こえないが空目が村神を呼んだらしく、村神は少し空目に寄った。
二言三言交わした後、村神の顔がぐいと寄る。
キスでもするか、と思っていたら、まさかとは思うが、まるで空目が亜希の気配を感じたような素振で、何気なく亜紀を、部室の窓を振り返った。
ぎくりとして、亜紀は固まった。
数瞬もしないうちに村神もこちらを向いた。
そして、口の端を吊り上げて笑った。よくは見えなかったが、それだけは確かだ。
頭の先から熱が引いていくのを感じ、亜紀はそのまままた勢いよくカーテンを閉めた。
「ど、どうしたんだよ木戸野」
「村神クンたちに気付かれちゃった?」
「…」
武巳達の問い掛けにも黙ったまま椅子に腰掛けて、亜紀は本を手に取った。
「亜紀ちゃん?」
「馬鹿だったよ」
「え?」
武巳と稜子は揃って首を傾げるが、亜紀はそんなことには頓着せず、続けた。
「あいつらを馬鹿馬鹿しいと思った、私が馬鹿だった。あいつらを私の意識下に引き入れてしまったのがそもそもの間違いだ」
やや早口で云って、本を開く。
「あいつらにくれてやる言葉なんか、ない」
そうあっさり云い切って、亜紀は話を打ち切った。




















END




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亜紀が村神に喧嘩を売ってるように見える。爆
久々に書いたくせに、こんな…………あぁ。
てか陛下が悪魔考読んでない訳がないやな。




2006.6.6