携帯のマナーモードというのは本来、着信が来ても煩くないようにする為の機能なのではないのだろうかと、村神は思った。
















*  文明の利器と為り侍れ  *
















「………」


『マナーモードの携帯電話』の着信が余りに煩くて、村神は携帯電話を手に取った。
これは紛れも無く空目の携帯だ。だが持ち主はいない。
少し前までこの部室にいたが、用事があるとかでさっさと帰ってしまった。
気にはなったが、何から何まで空目について回るのも野暮なので、村神は部室に残った。他の皆はまだ来ていない。
携帯は椅子の上に置いてあった。
何故そんなところに、と思うが、それよりも今のこの着信をどうしようかを先に考えるべきだった。
本人が傍にいれば出てしまうこともよくあったが、今空目は傍にはいない。


「……」


ふと、こんな些細なことで悩むのが面倒になってきた。
途端に、ぴたりと携帯の震えも止まってしまった。
よかった、と思った。
村神は携帯に限らず、電話というものがあまり得意ではない。
些かほっとしながら、携帯を机の上に置いた。
途端にまた震え出す。少しげんなりした。
ぶぶぶぶ、とマナーモードのくせにやはり煩い携帯を、村神は軽く睨んだ。


「…はい、」


煩わしくなって、村神は遂に電話に出た。
こんなにかけてくるのだから、急ぎの用なのかもしれない。だとしたら、まだ暫くはこの音に悩まされることになってしまうのだろう。だったら用だけでも聞いておいてやろうと思った。


『村神か』
「…何だよ。空目か」


気が抜けて、村神はどかりと椅子に座った。


「携帯忘れるなんて間抜けだな。携帯なのに携帯しなくてどうする」
『うっかりしていた。だがお前が持っているなら問題無い』
「お前、…誰か出るかもわからないのにこんなにしつこくかけんのかよ」
『お前の手元にあると思っていた。結果として何の問題もあるまい』
「……お前な、」
『明日まで持っていてくれ』
「届けなくていいか」
『明日ちゃんと学校に持ってきて貰えればそれでいい』
「あァ」
『電話やメールが来ても放っておくといい。何なら電源を切れ』
「ん。そうしとく」
『すまんな。…………ん?』
「おい、空目、何だよ今の音?すげェ音したぞ?」
『いや、…何でもない』
「何でもなくねェだろ。皿でも割ったか?」
『あァ』
「馬鹿、今日はどうしたんだよ本当に。指、切るなよ」
『……』
「…もう既に切ってんだな?破片に触るなお前。今から家行くから何もしないで待ってろ」
『大したことは無い』
「なくても行くよ。携帯も手元に帰るし一石二鳥と思え」
『…すまんな』
「…やけにしおらしいじゃねェか」
『…』
「…空目?」


ざざざ、とおかしなノイズが聞こえたと思ったら、通話が切れてしまった。
何だと思って画面を見ると、圏外になっていた。
移動もしていないのに、と思うと変な感じもしたが、さして気には留めず村神は帰り支度を始めた。
と云っても部室に来てから物を広げていないので、唯一の防寒具であるマフラーを首に巻き付けると、携帯をポケットに突っ込んで部室を出た。


「うわ、」


出た途端、誰かにぶつかりそうになって、村神は半歩程後ずさった。
目の前にいたのは武巳だった。


「…近藤、」
「あーびっくりした。目の前にいきなり現れるにしてはお前インパクトありすぎのでかさだなー」


けらけら笑って、武巳は村神の肩をべしべし叩いた。痛くはないが、何となく眉を顰める。


「あはは、悪かったってー。怒んなよ」
「別に怒ってなんか」
「だって顔怖ェんだもん。帰んの?陛下は?」
「これから空目ん家に行く。空目は用事があるとかで先に帰った」
「ふゥん?陛下ん家着いたらさお前、お帰りなさいとか云ってもらって新婚さんごっことかやんないの」
「…くだらね」


先程以上にげんなりして呟くと、村神は武巳の前を通り過ぎた。


「ごめんって。じゃあな」
「あァ」


武巳の挨拶に軽く返すと、村神は大股で歩を進めた。
それからは誰にも会わず校舎を出た。
出たところでまたぶぶぶ、と携帯が震え出した。
暫く考えて、また出る。


「はいよ」
『今どこだ』
「うん?」


どこにいるかなど一目瞭然であるが、なんとなく振り返った。
やはり後方には校舎があり、手前に校門がある。見紛うかたなく学校である。


「学校出たとこ」
『そうか』
「…何か買ってってほしいもんでもあんのか」
『A4のレポート用紙と画鋲』
「了解」
『頼む』
「…皿どうした」
『片付けた』
「…無事か」
『大袈裟だ』
「裸足で歩くなよ。硝子踏むから」
『わかっている』
「そっち行ったら掃除機かけてやるから、それまで…」
『…』
「ん?」
『過保護なことだな』
「……」
『…ん?』
「…お前がそんなじゃなかったら、俺だって過保護にゃなんねーよ。もともと俺の柄じゃ無い」
『そうだな』
「そういうことだ。じゃ、買い物したら行く」
『あァ』


携帯を耳から離し、えぇと、と少し考えてから通話を切る為ボタンを押した。
話しながら、学校から随分歩いて来ていた。
店ももう見えるところまで来ている。


「過保護だよなァ、やっぱ」


でかくて体力馬鹿のような男がやることでは無いな、と思ったが、直す気は今のところ更々なかった。
村神が甲斐甲斐しく世話をするのをやめたからといって、空目はその分の仕事も頑張るような奴では無い。決して、無い。
空目は自分の生活水準が低下したからといってそんなことに気をかけたりはしない。
その証拠のように、村神の手が届いていない場所には必ず埃が積もっている。両親の寝室が良い例だ。
村神が家事を放棄すれば、出家した僧より酷い粗食ばかりとり、いつか今以上に痩せ細って死ぬと思う。
放棄したことがないのであくまでも想像の域を出ないが、出なくて良いのだと村神は思う。
とりあえずレポート用紙と画鋲と、あと適当に色々買って店を出た。




















「……」
『今どこ?』
「…道っ端」
『お、怒んよー!別に下世話な話したくて電話した訳じゃねェんだぞ、俺!』
「…で。何なんだよ」
『陛下はァ?』
「家」
『は?お前今どこの道端?』
「学校から空目ん家の間の帰り道。まだ学校寄り」
『…いつから2人の携帯になったんだよ、それ?』
「それを下世話と云わないか」
『お前が不意打ちみたいなこと云うからだろォ?』
「そうかよ。それで用は?」
『陛下の携帯なんだから用は陛下にあるに決まってんだろ』
「それもそうだが」
『な?後でかける。あー…いや、明日でいいや。急ぎじゃないし』
「すまないな」
『あ、あ、あのさァ、村神?村神ってさァ、……が、た………に…、……』
「近藤?」


ざざざ、とまたノイズが聞こえ、通話は切れてしまった。
またか、と思ったが、今度は圏外ではなかった。
向こうが圏外なのだろう。だがそんなことはどうでもよくて、また携帯をポケットに突っ込む。
暫くは何事もなく歩き続けて、大分空目宅へと近付いてきたとき、村神はポケットから携帯を取り出した。
大した用は無いのだが、何となく声が聞きたくなった。
やはり携帯なんかあると煩わしくて嫌だと思った。手段があると、思ったことを安易に実行したくなる。
声が聞きたくなったから電話をかけるようではまるでメロドラマだ。自分はそんな柄では無い。
かけかたぐらいは知っている。前に用があって空目に借りたとき、それは教えてもらった。
いっそ知らなかったら良かったのに、と思ったが、操作は結構簡単なものだ。少し試行錯誤しながら弄れば村神にだって電話としてなら使えるようになるに違いなかった。
とは思うが、実際知らなかったらどうなっていたかなど知る由も無い。既に知ってしまった後だからこそ云えるのである。
携帯を眺めながらどうでもいいことと本質とをごちゃまぜにしながら考えていると、手の中でぶぶぶ、と携帯が震え出した。


「…、はい」


ぼんやりしていたので些か驚いて、村神は慌てて出た。


『今どこにいる?』
「空、目」
『…何だ?どうかしたか』
「あァ、いや。そっちこそどうした」
『今近藤から電話があってな。村神がどうのと要領を得ないことを云われて揚句切れた。電波の受信状況が悪いらしい』
「近藤…」
『何も無いようなら良い。来るなら早く来い』
「…りょーかい」
『…ときに村神』
「うん?」
『携帯の扱いに慣れたか』
「電話かけたり受けたりするぐらいならな。それがどうかしたか」
『…いや』
「…あ、」
『ん?』


少し先に空目の姿が見えて、村神は小さく声を上げた。
痩躯が子機を持ったまま寒そうに玄関先に立っている。


「あァ…いや、何でもない。そんなことよりお前、寒くないのか」
『…』
「なんで外になんか出てんだよ」


空目がこちらを向いた。
だが暫くするとすぐに視線を外してしまう。


『これも近藤だ』
「俺ら近藤のピエロかよ?」
『…あまり否定は出来ない』
「悲しいことにな」


喉の奥でくつくつ笑う。
どんどん空目に近付いて来た。


「寒いだろ。上着の一枚でも羽織ってから出ろよ」
「面倒でな」
「物ぐさ」
「…ほら。待っててやるから早くここまで来い。寒い」


珍しい空目の催促を聞きながら、村神は首のマフラーをさっと抜いた。
声は携帯からも聞こえるが、それがなくても聞こえる距離まで来ていた。あと数歩で空目に届く。
村神は通話を切った。


「よう。ご機嫌麗しゅう」
「おかしな挨拶をする」
「いらっしゃいぐらい云ってみたらどうだ」
「…いらっしゃい」
「あんま有り難くねェな」
「だが希少価値だ」


目の前まで来た空目にマフラーを引っ掛けて、村神は携帯を差し出した。


「はい」
「すまんな」


受け取る為差し出された手を、指を見ると、幾つか血の滲んだ新しい傷が目についた。
硝子を触って傷を付けてしまったのだろう。


「だから触るなっつったんだがなァ」
「これか」
「そうだよ。絆創膏も買ってきた」
「よく気が回る」
「お前と違ってな」


半ば空目を押し込むように家の中に入れ、自分も続いた。
携帯電話は煩わしくて、やはり暫くはいらないなと思った。




















END




********************
お正月、電話ネタ失敗したのでリベンジしようとして、やっぱり失敗した。爆
空目も村神もやたら喋る奴らになってしまったのは気のせいじゃ・・・ない筈・・・。
近藤は文芸部最強とかいう話。違




2006.1.26