目を覚まして直ぐ感じた肌の温かさと、心地良さにうっかり二度寝しそうになり、村神はなんとか意識を繋いだ。












*  忘れ去る  *












自分の腕の中にこうもすっぽりおさまっている空目に、村神は体を硬くした。
だらだらと嫌な汗をかくような感じがして、だがとりあえず空目を起こさないように、村神はそろそろと空目の顔を覗き込んだ。
片頬をシーツに埋めて、空目は静かに眠っている。
忘れるところだったが、今日はクリスマスだ。
昨夜の戯れも、忘れたわけではない。が、特別クリスマスらしい何かがある訳でもないので、元より特に意識していた訳でもなかった村神にとっては直ぐ忘却の彼方に追いやられそうになる。
深く被れるよう布団を引っ張り上げて、村神は空目の髪に顔を埋めた。
あちこち素肌が触れ合っていて暖かい。
暫くこうしていよう、と思った矢先、ベット脇の小机に置いてあった空目の携帯が震えた。
「…ん、」
振動の癖になかなか煩い携帯を大儀そうに手に取ると、村神は開いて画面を見た。
『近藤武巳』
見知った名を見て、村神は切ってやろうかと思ったが何となく通話ボタンを押して耳に押し当てた。
「……」
『おはよー陛下!』
馬鹿に明るい声の武巳が、寝起きでぼんやりしている村神の頭に響いた。
「近藤…、」
『…うわ、村神、だよな?ごめんお邪魔だった?』
こんな朝っぱらから妙なテンションの電話をもらったら誰でもそう思うのではないかとぼんやり考えたが、時計を見るともうそんな時間ではなかった。
「…で、何だ」
『陛下は?』
「寝てる」
『もうこんな時間だぜ?陛下って意外と寝ぼすけ?…あ、あァいややっぱ今のなし!ごめんそうだよな、今日は仕方ないよな、』
勝手に邪推が働いたらしい武巳が途中で言葉を改めて、村神はとりあえず疲れた溜息をついた。
「おい、近藤…、」
『ま、クリスマスだもんな。頑張れ』
何を頑張るのか、と気にはなるが良い予感はしないので、村神はあえて流した。
「で、結局用は…」
『陛下にちょっと聞きたいことあったんだけどさァ、寝てるならいーや』
「…そうか」
武巳の返事を聞いて何となく脱力して呟くように返すと、不意に手からするんと携帯が抜けていった。
「近藤か」
起きてしまったらしい空目が電話に出ていた。
『あァ、陛下?おはよう。寝起きって声だなー』
「そうか」
少し掠れた低い声に対して云っている武巳に、空目は事もなげに言葉を返している。
「…で、何だ」
わざとなのか、自分の額を鎖骨にごつんとぶつけてきた空目を見て、携帯から漏れてくる武巳の声を聞いて、とりあえず村神は空目の髪を撫でた。
「…あァ。…そうだが、…ん?」
耳を凝らせば武巳が何を云っているかわかるが、その気がないのでそれもただの音にしか聞こえなかった。
村神の云うところの音に返事をしている空目の吐息が胸に当たるのを擽ったく思いながら、村神はぼんやり髪を撫でていた。
「好きなように、」
心臓がざわついた気がした。
この台詞は、ほんの数日前に空目の口から聞いた気がする。まさか武巳は昨夜などについて片っ端から暴露させる気ではあるまいな、と思った。
空目がちらりと村神を見る。脈が上がった。
「…想像するといい。任せる」
云うと、暫く武巳は黙ったようだった。
空目が視線を外すと村神の脈も落ち着いてきた気がした。
「…近藤?」
『…、…』
武巳がまた何か言葉を返していた。
ありのままを云ってしまうのは恐ろしかったが、想像に任せるのもまた恐ろしいものがあった。
だからといって今すぐつじつまの合うでまかせも考えられない。
「…近藤」
何だか改まって空目が云って、村神は耳を凝らした。
『ん?』
音がちゃんと武巳の声に聞こえてきた。
「邪推は構わんが吹聴はするな」
『えー』
それをする気が満々だったらしい武巳があからさまに落胆した声を上げたが、空目は冷たく云い放っただけだった。
声色が変わるから何かと思えばたいしたことはなく、村神はベットから這い出た。
すると空目の手が追い掛けるように伸びてきたが、何も着ていなかったせいか掴むところもなく指が空を切っただけだった。
そのまま腕は伸ばされたままシーツの上に横たわっていたが、村神はあえてそれに気付かないようにしながら落ちていたズボンを穿いて、放り投げてあったシャツやトレーナーを拾い上げ、回収し切ってからまたベットへ戻り、腰掛けた。
「…あァ、わかった」
空目はまだ武巳と話している。
伸ばされたまま落ちている腕を見て、指を重ねると、空目の瞳が村神を捕らえた。
そのまま指を絡め、甲にそっとキスを落とす。
「…もう、一度」
武巳に云ったのか村神に云ったのかは知らないが、空目はそう呟くと、絡めた指を軽く握った。
自分は遊ばれているのか、と思いながら村神は誘いには乗らなかった。
空目の眉が少し寄って、視線が外された。
キスをくれなかったから拗ねるなんていう空目ではない。そんなことをするようであればそれはもはや空目とは呼んではいけない気がする。
きっと今のは、自分がこうすれば相手はこう反応するに違いないという、よもや実験と称してもなんらおかしくないものであったのではないか。
思った通りいかなかったから空目の眉は寄った訳であって、拗ねた訳では決してない。
空目にはそんな単純な情緒はない。高等な情緒もない。全く何もないかといえば、そうでもない。
立ち上がった村神の腕を、空目は今度は捕まえられたようだった。
「…空目?」
「連れていけ」
携帯を耳から離し、上体を少し起こしてそんなことを云う空目を見つめている間に、携帯は通話を切られ、ベットの上に放り出されていた。
「わかった…、から、これ着ろ、」
なんとなくぎこちなく返事をしながら、村神は黒いトレーナーを頭に被せた。
行く先は風呂で、それはいつも起きてすぐ行くので充分予想は付いただろう。
だが連れていけというとは、腰が立たないとか云々とにかく理由があるのだろうが、空目の口からはあまり聞きたくなくて、村神は流すことにした。
「村神、」
トレーナーを着終えた空目が、ぼんやりしていた村神のズボンの裾を引っ張った。
「あァ…悪い、」
空目の肩の下と膝の裏に手を差し込む。
「お前、」
「ん」
薄い体を抱え上げながら、村神はあまり目を見ないようにして呼んだ。
「…いつからそんな甘えたになった」
「……、」
空目は黙って村神の首元に頭を乗せた。
云い淀んだというより、聞かなかったふりでもされた気になって、村神は暫く立ちすくんだが、直ぐに身を翻して部屋を出た。
脱衣所について、空目を床に降ろすときちんと空目は両足をついて立った。
腰が立たなかった訳ではなかったんだな、と何となく安心したが、だったら何故、と思った。
「…おい。近藤に何吹き込まれた」
村神の胸に手をついている空目が、村神をじっと見つめた。
「近藤に吹き込まれたこと鵜呑みにしてんのか。お前らしくもない」
肩を押すと空目の重心は簡単に傾き、壁に体を預けることになった。
どすん、と脅すように壁に手をつくと、村神は空目の顔を見下ろした。
勿論そんなことで空目が怯えなど浮かべる筈がなく。
「…なァ?」
「俺の意思だという考えは浮かばなかったか?」
元より脅すつもりも毛頭ない村神は、空目の返答に少し笑った。
「お前は自分の意思で甘えたりしないだろうが」
「…、…。……近藤がな」
ふう、と息を吐いて、とうとう観念するように空目は話し始めた。
「あまりにも村神が喜ぶと云うものだからな。興味が湧いて、近藤が云うことをいろいろやってみた」
「やってみたってお前な…」
呆れて、村神はまた笑った。
「まだちょっとらしくない気もするが…」
空目が首を傾けた。
「何を基準に云っているが知らないが、この際認識を改めてみたらどうだ」
素っ気なく云って、空目は村神の下を擦り抜けて浴室に入って行った。
「おい…」
トレーナーが飛んで来て、村神は慌ててそれを受け取る。その間に戸を閉められた。
「…とんでもないことになるぞ。今、認識なんかし直すと」
脱力しかかったが何とか気を持って、村神は居間だか寝室だかで風呂が空くのを待とうと思った。
途端に戸が開いた。
「入るか?」
ぽたぽたと髪から雫を垂らしながら、空目が聞いた。
「いいよもう…近藤のは」
空目を浴室に押し返すと、ばたん、と戸を閉めた。
















洗濯物を籠に押し込み、炊飯器を開けて昨日炊いた米が残っていることを確認したらもうやることもなくなり、村神はベットに横になった。
暫くぼんやりしていたら眠りそうになって、とりあえず体を起こした。
「…村神、」
「は…やかったな、」
「そうか?」
髪から雫を垂らしている空目を見ていたら、なんとなく昨夜が脳裏にフラッシュバックしてきた。
「髪、ちゃんと拭けよ」
「ん、」
首に引っ掛かったタオルを引っ張って頭に被せると、ぽんぽん、と頭に軽く触れた。
同じことを繰り返す気のない村神はそのまま空目の隣を通り過ぎる。
「…いくら近藤からいろいろ吹き込まれたと云ってもだな」
「…」
通り過ぎざまにいきなり話し出した空目を、村神は振り返った。
「近藤の思うところと、俺の思うところとでは、微妙な…いや、その判断も出来ないような差異が生じていると思う」
いきなり何を云い出すのだろう、と思いながら、だが村神はそれを大人しく聞いた。
「それは近藤の言葉が俺の中で、俺に理解できるように変換され、その上で解釈されてしまうからだ。だから俺にとって想像もつかない、または全く知らないことを云われても理解することは不可能だ。もしくは、誤った解釈などをしてしまうだろう。これは、近藤に限ったことではないがな」
「……」
云っていることはわかるのだが、今何故その話題がいきなり飛び出してきたのかがわからず、村神はとりあえず無言で先を促した。
「…だからな?村神。近藤に何を云われていようとそれはきっかけにすぎないのであり、これは全て俺の言動で、挙動であることには違いあるまい。そして何より、これが俺の意思であるということを、…わかってほしい」
「……」
云い終えると、空目はまた村神に背を向けた。
理解してもらえなくて悲しい、なんて感情がそこにあったとして、空目はきっとそれを肯定はしないだろう。
理解しづらい感情は、どうごまかしても肯定はしない。出来ないのだ。
そもそも空目の語彙ではないし、挙動にもない。
ただ単に誤解を解こうとだけしている空目の淡々とした語調をなんとなく耳の奥に残しながら、村神は部屋を出て行った。












あまり長いこと入っていなくてものぼせそうで、村神はさっとシャワーを浴びると直ぐに出た。
頭をがしがしと乱暴に拭きながら寝室に行くと、空目はベットの上で昨夜のリボンの結び目を解いていた。
「・・・それ、昨日俺解いたと思ったんだが、」
当たり障りないことを適当に云いながら、空目に歩み寄る。
「朝、少しな」
「ふゥん?」
少し気にしながら、村神はさりげなく空目の隣に座った。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
普段なら苦でもない、気にすらならない少しの間が出来て、村神は視線をあちこち泳がせた。
「・・・・・・・・・・・・例えばお前が近藤に云われたことを、お前に理解できるように解釈し、実行したとして、」
訥々と村神が話し始める。
空目が顔を上げた。
「悪い犬に噛まれたのは紛れもなくお前で、」
首筋に指を滑らせると、空目の目が細められた。
「だとしたら悪いのは、」
「・・・悪いのは、安い挑発にあっさり乗った『悪い犬』だ」
村神の言葉尻を攫って空目が云うと、村神は目の前の薄い体を引き倒した。
空目の顔の両脇に肘をついて、頭を抱え込むようにしてみても、空目は何でもないように村神を見上げるだけだった。
「・・・安い挑発かよ」
「あれが高等な手段とは思えんがな」
嘲るように云って、空目は村神の首に腕を絡めた。
「これが・・・安い挑発?」
村神は口の端を歪めるように笑った。
「安い上に無益な挑発だな」
「ひでェ云い草だ」
「・・・ん、ゥ」
性急に唇を押し当てると、村神の体の下で空目が震えた。
舌を絡め、指を絡めると、昨夜がまた頭の中でフラッシュバックした。




















END




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どーしようもないものを書いてごめんなさい。爆
無意味に3部作です。
約束編:『話を鵜呑みにするということ』
本番編(最悪):『如何ともし難い愚か者』
当日なのに何故か後日談編:『忘れ去る』
どうしようもないことばっかりする子です、ホント。




2005.12.25