肉体的に頑健な男は風邪をひかない。 少なくとも、武巳の認識の内ではその筈だった。 というのも、一番身近な頑健男が病気で弱っているところなど見たことがなく、昔大病を患って大変だったとかいう類いの話も全く聞いたことがないからだ。 ああいう人間は風邪菌のほうが寧ろ避けて通るんじゃないかと何の根拠もなく信じ切っていた。 * 貧と恋入ると四百六病なり * 『とゆー訳で、陛下に薬持たせて帰したから。看病してもらってゆっくり治せ』 「…悪いな、」 短く答えた後、詰まった鼻が息苦しくて村神は少し咽せた。 『おいおい大丈夫かよ?』 電話の向こうで武巳が苦笑した。半分心配して、半分楽しんでいるような声だ。 村神は半身を起こした。体の節々が痛いが鼻が詰まっているので、寝ていると非常に話しづらいのだ。 起き上がったことで息苦しさは軽減したが、今度はひどいめまいに襲われる。 『…、………、…てオイ、聞いてるか?』 「…ん、あ、あァ、」 回る視界にそれどころではなかった村神は半分以上聞いていなかったが、適当に返事をした。 『本当に大丈夫かよ?』 「…なんとかな」 『何で風邪なんかひいたんだ?何したんだお前』 「あー…」 村神は最近池に落ちた。 家の近くの小さな池で、叔父に連れていかれたのだ。 近所の子供らがボールをはめてしまったからとってやれ、と。 村神は無理矢理連れていかれた先でそう告げられ、小学校低学年ほどの少年達にお願いします、と頭を下げられ、もはや嫌とは云えない状況になっていた。 叔父は足を故障していた。自分の歳も考えず空手の大技を繰り出して右足の骨にひびを入れてしまった。 の割になかなか元気に松葉杖で散歩なんかをしているから池にボールをはめてしまった憐れな少年達に出会ってしまうのであり、村神がこうして駆り出されることになるのだった。 自分でどうにか出来ないなら助けの手を差し延べるな、と叔父を心の底から怨みながら、村神は近くに落ちていた長い棒で水面をばしゃばしゃ叩いた。 ボールは池の真ん中にあるが、いかんせん小さな池なので、向こう岸へ波で押しやれないかと思ったのだ。 地味に根気よく続けると案の定ボールは対岸へ大分近寄り、少年達の一人に水面を叩くのを任せると、村神は対岸へ回った。 小さな池とはいえ、対岸からの波が届かなくなり、ボールは手を伸ばせば届くか届かないかぐらいのところで止まってしまった。 叔父に片手を掴んで支えてもらい、村神は池に大きく体を乗り出した。 もう少し、と村神は体を乗り出す。 『あ、』 『あァ!?』 叔父が小さく声を上げ、村神は自分の体が傾ぐのを感じた。何が起こったかといえば、何のことはない、ただ叔父が手を放したのだ。 『ちょ……ッと待てよ叔父さん!』 水の中から、村神は吼えた。 池の水は村神の胸元まであった。 少年達は遠慮がちに笑っているが、叔父はだはははと豪快に笑っていた。 『笑うな!一体どーしたっつーんだよッ』 『いやァ悪いな。鼻が痒くて』 『ふざけんなよっ…、ちくしょ、』 悪態をつくと、村神はボールを引っつかんで岸に寄った。 上がろうと手をついた村神の目の前に叔父が立ち塞がる。 『…、』 半ば無視しながら村神がざばりと岸から上がろうとしたところを叔父は松葉杖で突き飛ばし、村神は再び水中に沈んだ。 『ちょ…ッ、う……ぐ、』 村神が叔父を罵倒でもしようと勢いよく水面から現れると、瞬間また松葉杖で水の中に押し込まれた。 『いいか俊也、よおぉっく聞けよこの野郎』 突然のことで村神は大分水を飲んでしまった。 叔父は全く気にも止めずに松葉杖でひたすら村神を水中に押し込んでいる。 『目上の人間に対してふざけんなだと?それこそふざけんな。お前がくそ小っせェ頃から世話してやってんのは誰だ』 村神には聞こえていないが、叔父は続ける。 『礼儀はあらゆる武道の基本だろ?これ忘れることが出来たらむしろ素晴らしいぐらいお前には叩き込んだ筈だったろうが?』 叔父は松葉杖を地面に降ろした。 小学生達はいつの間にかいなくなっていた。何やら危ない雰囲気を感じ取ったらしく、逃げるように去っていったようだ。 激しく噎せながら、村神は顔を上げる。 『わかったか俊也』 にやっと笑って叔父は村神を見下ろした。 『…』 そんな叔父を睨み上げながら、村神は暫く池に浸かっていた。 今は冬だ。池の水など冷たいに決まっている。 そんな池に暫く浸からされたからといって必ずしも風邪をひくとは限らないが、村神の場合間が悪かった。 定期考査が終わったばかりで、寝不足が続いていた。 自分でもまずいと思っていた村神は案の定その日のうちに体調を崩し、だが放っておけば治るだろうと気にしないでおくとその2日後、空目宅に泊まったときにとうとう熱が出てしまった。 空目に看病が出来るとはあまり思っていない村神は帰ろうかと思ったが、大昔やはりあの叔父に手荒い看病を受けたトラウマに近いものがあるので気が引けた。 合わせて空目は特に出ていけとも云わなかったので居着かせてもらうことにしたのだ。 大人しく寝ていたら、朝少しだけ様子を見て学校に行ってしまったようだ。 携帯がない村神の為になのか、電話の子機を手の届くところに置いていってくれた。 『…どうした?』 「あァ、…いや」 『陛下もさー、結構非情だな?お前が苦しんでるってのにー』 「空目らしいじゃねェか。それにあいつはいても多分看病なんかしてくれねェだろうし、…ッ」 まずい、と思った。 先程とは比べものにならないくらいに目眩で頭がぐらぐらする。 次第に目の前が真っ赤になってきた。 その次には意識が薄れていってしまうのだということを村神は知っている。 『村神?…おい、大丈夫かっ?』 武巳の声がどんどん遠くなる。 ぼんやりしていると、手から子機がするんと滑り落ちてしまった。 体が傾ぐ。 だがどこか頭の隅にまだ冷静な村神がいて、その自分がいけないと云っていた。 この向きに倒れるとベットから落ちる。 何だってこんな端に座ったんだと自分を呪ったが、元はといえば子機を取る為にそちらへ寄ったのだ。自分のせいではない。だが今まさにベットから落ちようとしているのは自分で、責任がどうというものではない。 村神は虚ろな頭でそこまで考えたところで、何かが頭に当たったのを感じた。 視線だけを動かしてそちらを見ると、自分がベット脇に立っている黒い影に寄り掛かっているのがわかった。 その黒い影が片手で村神の肩を抱き、もう片手で村神の膝の上に落ちている子機を拾い上げた。 『…村神!』 「近藤か?」 『陛下!着いたのか』 「あァ。何か用でもあるか」 空目の声がするな、とぼんやり考えながら村神は目を閉じた。 『村神どうした!?』 「…大人しく寝ていればよかったんだがな」 『え?』 「何の為の電話だ近藤。村神にとどめを刺したいか」 いつもの単調さで冗談とも本気ともつかないことを黒影は云い、近藤の返事を待たずに電話を切ると、村神の額に手をやった。 村神が目を覚ますと、空目はベットの端の、村神の足元ら辺に座って本を読んでいた。 「…空目……」 掠れた声で呼んでみると、空目は緩慢な動作で顔を上げ、村神を見た。 「…俺、は…」 「意識を飛ばした。近藤と電話していたときだが…覚えているか?」 「…少し」 ぼんやり天井を見上げながら答えると、体温計を渡された。 「熱を計れ」 「…ん」 手を伸ばしてそれを受け取ると、電源を付けて脇に挟んだ。 村神ののろのろした動作を空目はただ黙って眺めている。 「……今、何時だ」 「…4時」 「お前授業は、」 「いい」 4時といえば、まだ7限目の最中だろう。村神の中で曜日感覚が薄れて今日の曜日はわからなくなっていたが、空目も自分も大体7限には授業を入れているから、空目がここにいていい筈はなかった。 「あまりにも近藤がうるさく云うからな、」 「…ん?」 朝、村神の様子を見ていたせいか部活の集まりには顔を出せず、昼初めて会った面々に村神の不在を問われ、村神が病床に伏していること、ついでに風邪薬解熱剤、頭痛薬でさえ家にはないことを単調に述べると、息巻く稜子と渋る亜紀が薬局へ走り、その間に武巳は空目が家に帰って村神の看病をするよう拝み倒した。 断る理由もなかったので、空目は稜子らに渡された薬を手に、帰路についた。 そんな大まかな説明を聞いた村神は、大儀そうにふーんと返事をしていた。 そういえば近藤からも似た説明を聞いた筈だったが、今の今まで忘れていた。頭が上手く働かない。 どうして病気で苦しんでる村神ほったらかしてきちゃうんだよ、みたいなことを近藤は喚いていたそうだが、理由は簡単、看病してくれと頼まなかったからだろうと村神は思うと、空目はとんだとばっちりを受けてしまったことに気付いた。 「…ごめんな」 「別にいい」 ピピピ、と電子音が鳴り、村神は体温計を取り出した。 38.2℃。 朝も似たり寄ったりな体温だった気がするが、あまりはっきりは覚えていない。 「貸せ」 「ん、」 「…上がったな」 ふう、と空目は溜息をつく。 「症状は」 「医者みたいだな。…えぇと……鼻が詰まって苦しい。後は目眩と…胃が、痛い」 鼻声でゆっくり話す村神に歩み寄り、空目は布団を直した。 「昼は」 「…何も」 何かを食べるという以前に、布団から出るのも億劫で村神は朝から眠っては目を覚ましを繰り返していたようだ。 横になっていると胃が余計に痛むのに合わせて体の節々が痛んで、長い時間眠りに落ちていることが出来なかった。 そのことも空目に告げると空目はただそうか、と短く返事をしただけだった。 「食欲は?」 「あんまし…」 「粥でも作ろう」 「…は?」 「何か食わんと薬が飲めん」 短く云うと、空目はさっさと部屋から出ていってしまった。 何か胃に入っていないと薬は飲んではいけないことぐらい熱に浮された村神の頭でも充分わかっている。 問題はそこではなく、空目が粥を作るということにあった。 「空目が粥…」 「いけないか?」 いつの間にか戻って来ていた空目が軽く返事をする。 「い、けなくはないが……作れんのかよ」 「…まァな」 空目にしては些かぶっきらぼうに答えると、ベットの脇にミネラルウォーターを置いた。 「…水分補給」 「そういうことだ」 「火傷すんなよ」 「せいぜい祈っているといい」 それだけ云うと空目はまたさっさと出ていってしまった。 心配もあったが、料理をしている空目というのを見てみたいという好奇心のほうが大きかった。 近藤達は空目にそんなことまで唆したとでもいうのだろうか。 「空目の粥…なァ、」 期待と不安が入り交じる視線をドアのほうへ投げ付けてみるが、ドアはただ冷たく閉ざされているだけだった。 村神が待ちくたびれてうとうとしだした頃、やっと粥を持った空目が入って来た。 実質そんなに時間は経っていなかったが、病と共に待つ身ともなれば、長く感じるのである。 「…出来た、のか」 「起きられるか」 「…あァ、」 のそのそと体を起こし、性懲りもなく襲ってくる目眩をやり過ごすと、村神は盆に乗った粥を見た。 一見普通の粥だ。 「不安か」 「…いや、」 「自分で食えるか?」 食えないと云ったら食わせてくれるのかと村神はぼんやり考えた。 「…」 「村神?」 「…いや。自分で食える」 云うと、村神は盆を膝に乗せて、粥を蓮華で掬った。 「…、」 一口口に入れて、もそもそ咀嚼する。 味はなかった。 だがこれは味付けのせいではなく、ただ自分が味を感じていないだけだろうと思った。 「日下部が大分心配していたぞ」 ミネラルウォーターの隣に薬の瓶を置きながら、空目は云った。 「普段病気なんかしねェからかな」 「しそうにも見えないからな」 「そーかよ。俺にはお前に粥が作れたことのが意外だがな」 「粥ぐらい作れる」 なんでもないように云うと、空目はベットの端に座った。 「普段しねェじゃねェかよ…」 風邪の湿っぽさもあいまって、何となく怨みがましく村神が呟くと、空目は何のことだと首を傾げた。 「しているぞ?」 「は、」 「お前だって毎日来ている訳でもないだろう。来ない日は作っている」 何を当たり前のことを、と云わんばかりの表情で空目は村神を見据えた。 「てっきり出来合いのもん買って食ってんだと思ってたんだが…」 「たまにならな。だが油気の多いものばかりで流石の俺でも勘弁したくなる」 云って、空目はふうと息を吐いた。 「知らなかったぞ」 「ん」 「…料理出来るなんて」 「訊かなかっただろう」 「……」 絶句というよりは、脱力に近かった。 この台詞は、何だかよく耳にする気がする。聞く度に、気が抜けていく思いがする。 それにしても、流石の俺でもというのは、食に執着がないという自分をしっかり理解しているということだろうか。 だとしたらなんて奴なんだと村神は思ってしまう。 自覚があるのにどうにもせず、他人に管理してもらっているこの状況云々。 自分で作っていると云っているが、どうせ3食きっちり食事なんかしていないだろうし、バランスなど気にも留めないだろう。 「…治ったらちゃんとした飯作って食わせろ」 「手の込んだものは作れないぞ」 「おぅ」 もとよりそんなに期待はしていない。 だが、単純に興味があるのだ。 空目が野菜や肉たちと奮闘する姿など想像も出来ない。 「…悪いな、これ以上は、」 「…あぁ。薬を飲め」 「どれ飲んだらいい」 「風邪薬と…胃薬」 半分程残し、村神は蓮華を置いた。 空目はその盆を受け取り、薬とミネラルウォーターを渡す。 瓶を受け取ると村神は薬をぱらぱらと掌に乗せ、合わせて7錠をミネラルウォーターで一気に飲み下した。 「ぅ……、ッげほ、」 錠剤が喉に引っ掛かった訳でもないが、何となく噎せて村神は口許を手で覆った。 「大丈夫か」 盆をベットの横に置き、空目は村神に寄った。 だが村神は空目を片手で制し、大きく咳払いをすると顔を上げた。 「…あんま、寄るな。うつる」 「今更だ。それにこの距離では何も変わらん」 啖でも絡むのか、片目を顰て掠れた声を出す村神に、空目は何でもないように返す。 「何より、うつることを本気で気にしているのならうちに居着いたりしない筈だろう」 「そういう訳じゃ、」 「ないのか?」 「なんていうか…、」 「働かない頭を無理に働かすな。また倒れるぞ」 「そんなん…俺がただの阿保みてェじゃ…、…ッ、」 怨みがましく村神が云ってみると、途中でまた噎せた。 「黙って大人しくしていろ」 背中を摩る、なんて優しいことはせず、だが穏やかな声をかけて空目は村神の肩を撫でた。 「食ったばかりだが…横に、なれるか?」 「…、」 村神が眉を顰た。 体を起こしていると、自覚はないかもしれないが横になっているより負担は大きい。 だが横になると胃が痛いという村神の訴えも当然無視は出来ないので、ここは村神の判断に任せるしかなかった。 「…」 「…まァいい。起きているのなら何か本でも持ってこよう」 「……いや、空目…」 決め兼ねている村神にそう告げて立ち上がり、空目は盆を持って部屋を後にしようとした。 村神はその空目を引き止めようと手を伸ばしたが、服の端を指先が掠めただけだった。 「………、」 空目が振り返る。 「…悪、い。ごめん。何でも、ない」 じっと見据えてくる空目に気後れして、村神は呟くように云って手を戻した。 「…、」 俯いた村神の顔を空目が覗き込む。 「う、つ……、」 最後まで呼ばせず、空目はそのまま口付けた。 「直ぐに戻る」 顔は近いまま村神の顔色を探るように視線を投げて寄越すと、探った割には村神の様子になど頓着せずに空目はさっさと背を向けて行ってしまった。 「やられた…」 たいした意味も込めずにそう呟くと、村神は顔を手で覆った。 ふと目を覚まして、村神は今まで自分が寝ていたことに気付いた。 おかしな話だが、寝ようと思って寝たつもりは少しもなかったのでわからないのだ。 「…」 頭に酷い霞がかかったようになっていてあまりよくものを考えられなかった。 視線をずらしてみると、枕元にハードカバーの割に薄い本が置いてあった。 そういえば、眠る前に読んでいたような気もする。 そのまま視線だけで辺りを見回した。なんとなく見覚えのあるようなないようなよくわからない感覚に襲われて、村神は目を閉じた。 「…そうだ。空目の家だった…」 そのことが頭から抜け落ちていたから感じたのであろう妙な違和感を理解し、村神は深く息を吐いた。 喉が震えて、吐いた息も少し震えた。 「…」 そっと戸が開いた。 「…空目」 いつもの通り黒い影のような空目が、静かに部屋に入ってきた。 「起きたか」 「……ん。いま、何時だ」 「10時過ぎ。結構寝ていたな。具合はどうだ」 「まぁまぁ…」 覚め切らない頭で適当に返事をすると、村神はまた目を閉じた。 だが、額に冷たい感触がして、すぐに目を開ける。 空目が村神の額に手を乗せていた。 「まだ少し熱いな…」 「…大人しく寝とくからさ。俺のことは気にしないでいていいよ」 「…」 「な?」 「少しやることがあるから居間にいるが、終わったら戻る。何かあったら呼べ」 微妙に噛み合っていない返事を寄越し、空目はまたゆっくり部屋を出ていってしまった。 勝手に上がり込んで看病までさせる気はなかった。村神はただ大人しく寝ていられる場所がほしかったのだ。 それにしても、空目がやたらと看病してくれることが村神には意外で、だがとてつもなく嬉しかった。 自分のことにあそこまで無頓着な人間が、他人の世話を焼けるとはあまり思っていなかった。 そういえば空目は10時と云っていただろうか。 そんなに長く寝ていたような気はしていなかった。 村神はのそりと起き上がり、どすんと片足を床に降ろした。 途中でやはり眩暈がして、なんとかそれをやりすごす。 大人しくしていると口約束したものの、生理的な欲求はきちんと聞いてやらないと体がおかしくなる。 ふらふらと立ち上がると、村神は壁づたいに手洗いまで歩いて行った。 行きはよかった。気力があったし、何がなんでも倒れるまいという意地もあった。 だが帰りが問題で、少し気を抜いた隙に、寒々しい廊下に膝を追って座り込んでしまった。 立ち上がろうにも膝に力が入らない。 ここで空目を呼ぶのも間抜けに思えて、村神は這ってでも部屋に行こうと決意した。 ドアが直ぐそこに見えているし、手を煩わせるのも憚られる。 「…に、しても…だな、」 くらくらしながら村神は呟いた。熱が上がった気がする。 壁に寄り掛かって息を大きく吐いた。 駄目かもしれない、と思っている間に意識が遠退いた。 「村神?」 廊下で物音がした気がして、空目は顔を覗かせてみた。 案の定、と云ったらおかしいがそこには村神が落ちていた。 「おい、……おい村神、」 体を転がして仰向けにし、頭を膝に乗せてやると村神は苦しそうに息を吐き出して薄く目を開いた。 「……ごめん」 薄ぼんやり村神が云うと、空目はその頬を撫でた。 「呼べと云っただろうが」 「うん…、そだな。でも来てくれたじゃねェか、」 口許だけで笑って村神は云った。 「結果論だな。偶然だ」 云いながら、空目は村神の左腕を肩に掛け、自分の右手で村神の背を支え、左手を壁につくとよろよろと足に力を込めて立ち上がった。 「…く、」 普段空目は運動神経皆無と勝手に豪語している村神は、その空目が自分を支えて立ち上がったことに多少なりとも驚いた。 「火事場の馬鹿力…」 「…元気そうだな。落としていくぞ」 「ごめん、」 一度立ち上がってしまえば何となく歩ける気がして、村神は支えられながら足を踏ん張って何とか歩いた。 部屋につき、ベットの前まで来ると村神は空目の手を離してぼすんと布団の上に倒れた。 「…信っじらんねェ。たかが風邪、とか云ってらんねェ…」 疲弊した村神が、胸を上下させて呟いた。 ひゅう、と喉が嫌な音を立てたかと思ったらすぐに咳込む。 「…、…キツい」 「じきに治る」 村神に布団を被せながら空目は淡々とした言葉をかけた。 弱音を吐くな、みたいなことを云われるのではないかと少し思っていた村神には意外だったが、少し嬉しかった。 暫くして、呼吸もおさまってきた頃に村神は、空目の手を掴んだ。 「…ん?」 「少しだけ…」 指を絡めると、村神はすうと目を閉じた。 「…ゆっくり眠れ」 空いた手で村神の額を撫で、瞼を、鼻を、頬を、そして唇を撫でた。 村神が口許で笑みを作る。 「ありがと、…空目」 「死ぬみたいだな」 「…馬ァ鹿」 苦笑する村神の瞼に、そっと口付けを落とした。 「…迷惑かけてすまなかったな」 村神は、熱を出してからちょうど一週間で全快した。 部室で皆が揃い暫く経ってから適当に機を衒い、村神はこう話を切り出した。 「薬を買いに行ってくれたんだってな、日下部、木戸野」 「いいんだよそんなー」 「あんたにそんな素直に礼云われると怖いんだけどね」 読んでいた本から目を離さず、亜紀はそっけなく返す。 武巳もその意見に賛同しているようで、それを見て苦笑していた。 村神は椅子の背もたれに大きく身を預ける。 「礼はさ、陛下に云っときゃそれでいいんじゃねェかな。俺らたいしたことしてないもん」 一番何もしていない武巳がそう云うと、村神は口の端を歪めるように笑った。 「…そうだな。意外とちゃんと看病してくれた訳だし」 「へェ。看病とか出来るんだ恭の字」 意外そうに合いの手を打つ亜紀が、ここへきてやっと顔を上げた。 「……で、さ」 稜子が口を挟む。 だが続きは亜紀が継いだ。 「恭の字は、どこにいるわけ?」 村神がこめかみを押さえた。 亜紀だって、何となく状況はわかっている。だからこれは駄目押しだ。 「先が読めるんだけどー」 武巳が苦笑している。 稜子にも、本当はわかっているのだ。村神に悪いように思えるらしく、控え目に笑っている。 「…家でな。大人しく寝てるよ」 居心地悪そうに村神は云うと、鞄を持って立ち上がった。 「ん?帰んの?」 まだ昼休みに入ったばかりで、昼食も取っていない。 「4限にどうしても出ておきたかったから来ただけだ。空目死んでるかもしれないから帰る」 「じゃあ今日4限しか受けてないの?」 冗談ともつかない様子で云う村神に、稜子は返した。 「…いや。3、4と受けた」 「看病させてうつすとか有り得ないね。恭の字だったらまずうつるだろうって、思わない訳」 「人にうつしたら治るってホントなのかなー」 「お約束だよなァ。あはは、笑える」 亜紀の辛辣な言葉を半ば無視するように稜子と武巳は悠長なことを云っている。 「じゃあ、」 稜子らに便乗して村神は亜紀の言葉をかわし、部室を出た。 後ろから武巳と稜子が別れの挨拶を投げてきた気がしたが、とにかく急いで家に帰ることにした。 END ******************** 書き始めたのが何ヶ月か前で、もうどういう話にしたかったのか覚えてないです。爆 風邪ネタといえばオチはこれはもうお約束ですよね、お約束。 変に凝るよりこのほうがいいです。笑 自分で云ってりゃ世話ないわな。 2005.12.25 |