こっちを向いてほしいなんて可愛い欲求が自分にあるなんて、と思ったら何だか笑えた。
















*  英知  *
















夕飯を何にしようか考えながら、村神は米をといでいた。


キッチンの窓のすり硝子がオレンジ色に染まっていて、もう陽が沈みかけていることが容易にうかがえる。
いつも大体主食は白米だし、今食べなければ明日の朝にすれば良いので、空目の家に来ると大体村神はこの時間帯に、メニューが決まっていなくとも料理を始める。
少しずつ慣れて来たのだがまだあまり手際も良くないので、早いうちから作り始めても食べるのは結構後だったりするのだった。
「空目ー。何食いたい」
内釜を炊飯器にセットしながら、居間のソファで読書でもしているのであろう空目に声をかけた。
「任せる」
最近こればかりである。
だが前も、温かいもの、冷たいもの、和食、洋食と注文は大凡適当さを極めていたので大差はない。
これらは素っ気ないなんてものではない。
「任されてもなァ?何も思いつかねェし」
うーん、と考える。
当然のようにこの家には料理の本などなくて、村神の貧困なレパートリーではあっという間にネタが尽きてしまう。
ちょっと前などは、3日の周期で肉じゃが、シチュー、麻婆茄子を3周程繰り返したことがあった。
味付けは違うが炒めて煮る料理ということで、どれも極めて似た料理である。
このときは流石に嫌気がさして、村神は自分の母親の料理の本なんかを引っ張り出してしまった。
結局簡単なものしか出来ないし、未だに炒めて煮る料理ばかり作っているが、それでも少しは作れる料理は増えた。
空目は毎日同じ料理が続こうとも文句は云わないが、村神が気にするのである。
「キャベツでも噛るか」
「ないぞ?キャベツは」
村神が冗談で云ったのを信じたのかどうかは知らないが、空目は即答した。
「ロールキャベツ食いてェな」
「作れるのか?」
「無理だ」
キャベツの有無に関わらず、そんなものを作る技術を村神は持ち合わせていなかった。
「最近…、」
最近毎日のように空目の家に入り浸っている。
そのせいで毎日のように自分の手料理を食べている訳だが、そろそろ凝った料理も食べたくなってきた。
もともとグルメな舌も思考も村神にはなかったし、質より量だと思っている節さえあるが、それでも流石に美味だと間違いなく云えるものが食べたかった。
空目は食に対する感心も執着もなさそうで、食べて体をおかしくしないものだったら何でもいいとさえ云いそうであるし、そもそも食事の目的もカロリーと栄養の摂取のみだ。
これは村神の独断と偏見だが。
だがどこまでいっても想像の域からは出ず、本当のところはどうなのか知らない。
知る気はなかった。
想像以上に酷かったら立ち直れないかもしれないからだ。
そんな空目だから放っておけないのであり、レパートリーが豊富でない分栄養のバランスだけはしっかり考えているのも事実だ。
「…きんぴらにするかな。あと、卵スープと昨日の野菜コロッケ」
呟くように云うと、村神は腕まくりをした。
















1時間半ぐらい、かかった。
2品以上平行して作ることは無理なようで、村神はまずきんぴらを作り、卵スープを作り、最後にコロッケを揚げた。
油の始末に手間がかかり、余計な時間をここで結構くってしまっていた。
空目は何も云ってくる訳がなく、だが自分が空腹であったので出来るだけ急いだ結果がこれだった。
だがいつもこんなものである。
卵スープを温め直し、その間に白米をよそいコロッケを皿に乗せ、テーブルへ並べた。
「おーい空目」
「……あぁ」
一拍遅れた返事。
この調子だと空目は来ない。
「…空目、」
とりあえず火を止めて、村神はキッチンと繋がっている居間へ向かう。
キッチンからはソファは背を向いているので、座っている人物の様子をうかがうことは出来ないのだ。
「…、」
村神がソファの前に回り込む。
空目が何か云おうしたのか薄く口を開いたが、言葉を発することはなく、場に沈黙が降りた。
空目は顔を上げない。
あともう少し、と幼い子供が遊び続けようとするのに似ていた。
この黒ずくめと幼い子供とは、外面では似ても似つかないようだが、本質的には似ている。
空目の心はあのときから成長していない。
成長する為の何かを、異界に置いてきてしまったのだ。
そう、村神は思っていた。
村神はゆっくり空目の隣に腰を降ろした。
「…」
空目の読んでいる本を覗き込んでみたが、1ページあたりの文字の多さにくらくらしてやめた。
背もたれに、腕をかける。
そういえば先程から、正面からまともに空目の顔を見ていない。
こんな至近距離にいるにも関わらず。
「…空目」
「ん、」
自分の空腹も捨て置き、村神は空目がこちらを向くよう名を呼んでみた。
空目は顔を上げない。
只曖昧な返事でないような返事を寄越しただけだった。
「…なァ、空目。こっち向けって」
云って顔を寄せてみたら、手で追い払われた。
何を始める気かは知らんが、邪魔をするなと云いたそうだった。
村神は只、空目がこちらを向けばそれでよかった。
小学生並の、くだらない意地のようなものでしかない。
自分でもわかってはいるようだった。
払われた手を掴み、村神はそっと空目の耳元で、低い声で一言。
これで払われたら最後にしようと思った。
「………恭一、」
「…」
空目が顔を上げた。
無感動な目を村神に向ける。
「…何だ」
「飯」
「あぁ」
ぱたん、と空目が本を閉じた。
名前を呼ぶ、ということが効いたのか、だとしたら意外過ぎてまた面白過ぎる、といろいろ考えながら、村神は空目から離れた。
いろいろしてやりたかったが、それよりまず先に夕食を摂ろうと思って、村神は立ち上がった。
















いつもながら上達したとは思えない料理を口に運びながら、更に今日はきんぴらと卵スープが微妙に合っていないことに気付いた。
少ないレパートリーでバランス重視だから仕方ないといえばそうなのだが、今度からはこの組合せはやめようと思った。
今度からちょこちょこ、母親に作ってもらったものでも持ってこようかと思った。
金の節約のつもりはないが、スーパーなどで出来合いのものを買ってくるのは何だか気が引ける。
「……」
目の前に座っている黒ずくめを見た。
まずそうな顔もせず、また美味しそうな顔もせず黙々と食べている。
食べるのに専念しているというよりは、思考のついでに何かを口に運んでいるような感じに見えた。
これではどんなごちそうでも、空目が食べるとまずそうに見える。
流石に云いすぎな気もするが、ちらっと考えただけなので、別にいいかと村神は思った。
「うーん…」
美味しいか、ときかなければそうだとは云わないし、まずいと云われたこともない。
自分でもわかるぐらいに上達していればまだ作り甲斐もあるのだが。
「どうした」
箸を止めて、空目がきいた。
「…旨いのか?俺の飯は」
「…」
微妙にいつもとは違ったニュアンスできいてくる村神に、空目は小さく首を傾げた。
「…昔に比べたら大分な」
「本当にか?」
「嘘をつく理由がない」
「…」
意外な返答に驚く村神。
上達しているとは塵程も思っていなかったし、もしそうだとしても空目が気付いているとは思っていなかった。
「…上手く、なってんのか」
独り言のように一言。
「自分ではわからんものかもしれんがな」
「…そだな」
「いつもすまんな、…俊也?」
先程の仕返しとばかりに、語尾を上げて空目が返した。
「え…っあ、いや、…うん」
挙動不審に返事をすると、村神は慌ててまた箸を動かし始めた。
照れをごまかす為に、白米を口に放り込んで大きく咀嚼する。
嬉しい、というのが正直な感想である訳で。
仕返しが単純に簡単に成功したことに満足したようで、空目の止まっていた箸も動き出した。
「……」
空目の少しの言葉だけで自分は突き動かされ、いいように使われているような気もしないではない。
働いたらその分餌を貰い褒めの言葉を貰い、機嫌を良くしてまた次の仕事に取り掛かる。
飼い犬でも何でもよくなってきた。
いっそ犬になれたら、難しい思考をしなくて済む分楽かもしれない。
だが犬には出来ないことも諸々ある訳で。
「…今日は、泊まっていけ」
「…ん」
空目が云うと、村神は大人しく返事をした。
沈黙が降りたが、特に気まずいとは思わなかった。
平生より口数の多くない二人なので、沈黙の状態でいることが少なくもなく、慣れてしまっていた。
「…」
犬だったら、空目に飯を作ってやれない。
まずこれがひとつ。
空目と会話が出来ない。
当たり前である。
だが人間と犬のコミュニケーション以前に、空目が犬というものを傍に置き、あまつさえそれと交流しようとするかどうかすら怪しい。
これがひとつ。
そして、人間と犬とでは友好、主従以上の関係になり得ない。
同性同士などどうでもよくなるぐらい背徳もいいところである。
最後にこれがひとつ。
よって村神はやはり人間で良かったと思っている訳で、人間でありながら空目に対して大人しく尻尾でも振っていようとも思っていたりするのだった。
例えるならば、空目は首輪は放り出したままリードだけを持ち、引っ張ってほしければ自分で付けに来い、と犬を待っている訳で、村神はそのリードの先に自分の首輪を引っ掛けに来る犬だった。
逃げたければ自分でまた首輪を外して逃げれば良いし、飼うのに飽きたらリードを離すなり切るなりすればいい。
そんな関係で充分だった。
それだけお互いが歩み寄っていれば、それで。
自分から逃げたがっている犬など空目は必要とはしないし、自分を必要としていない飼い主の元からなど村神は戸惑うことなく逃げる。
本来あるべき主従関係も、ない。
人間同士において主従など、関係を破綻させる為のもの以外何ものでもない。
人間には犬より高等かつ明確な意思があり欲求があり、感情がある。
ではその感情がすっぽり欠落した空目は犬と同等かといえば、そうでもなかった。
空目は感情の抜け落ちた穴を、意志と思考と論理で埋めていた。
だが感情の穴は本当にそんなもので埋まるのか。




















そこまで考えて村神は思考をやめた。
面倒臭くなったからだ。
面倒臭さを押してまで考えなければならないことでは全くないし、そもそも人間と犬とをを比較してこんなことを考えていること自体馬鹿げている。
人間は絶対に犬にはなれない、その一言に尽きる。
それならまだ、明日の献立でも練っていたほうが随分ましというものだ。
「…恭一?」
多分慣れるのは大分先になるだろう呼び方でぽつりと呼んだ。
「…」
「俺、…料理上手くなるから」
「…あぁ。楽しみに、している。…俊也、」


難しいことなど考える必要はない。




何故なら自分は人間で、しかも男は単純だからだ。




理由はそれで事足りている。




















END




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初め何も考えないで書き始めると、いつもの如く訳がわからなくなる。
今回は本当に、訳がわからな・・・・・・・・・
只、村神に空目を、恭一と呼ばせてやりたかっただけ。(え
今回は1週間かかったんですが、少しずつ書くとこうなるんですよね。
あーあァ。




2005.9.9