* 疵 *
















いつもよりも少しだけ早く目が覚めて、ふとあることに気付いた。
「……色気ねぇー…」
自分は全裸で、相手も上半身は裸。
昨晩何をしていたかなんて思い出すまでもなくわかっている。
おはようの挨拶と共に甘いキス、なんてものまで期待しようとは思わないが、いくらなんでもこれはと思う。
どうして自分らは背中合わせで寝ているのか、とかまぁその他諸々。
「〜〜〜…屑桐さん?」
後始末も昨晩のうちに屑桐が済ませてくれているので、特にすることもなく、とりあえず名前を呼んでみる。
「…寝てんの?」
返事はない。
仕方がないので御柳は屑桐の方へ向き直り、背中へ擦り寄ってみた。
肩の辺りには爪の痕がいくつか残っていて。
「……痛いのかな、コレ」
云いながら、指でなぞってみる。
爪を立ててやり過ごすとか可愛い理由があったわけではなく、只単に、自分が居ないときでも自分を思い出してほしいというだけでやってみたことだった。
改めて見てみれば、何だか痛々しくて少し後悔もしてみたり。
「…アンタが悪いんだぜ?いっつもいっつも…」
爪の痕が付いていようとなかろうと、さほど頓着しない屑桐に、一体何度不安を覚えただろうか。
この人はきっと、ある日突然俺がいなくなっても、それまでと全く同じ様に生活していけるに違いない。
まるで、初めから俺がいなかったかのようにさ。
そんなことを現実にしてしまいそうなのが屑桐無涯である。
「…せめてさ、痛いからヤメロぐらい云ってくれてもいーんじゃねーの」
肩の傷に口付けを落とし、屑桐を後ろからしっかりと抱き締めて、また目を閉じた。
「…今度は一人っきりでおいてかないで下さいね」








随分前だが、御柳を一人ベットに残したまま出掛けたら、泣かれたことがあった。
飲み物やら何やらを買いに出てすぐ戻るつもりであったし、思っていたよりはずっと早くに帰れたというのに、だ。
自分を困らせる為の嘘泣きであることはわかりきっていたのだが、正直うろたえた。
その様子がおもしろかったのか、御柳はその後けらけらと笑っていたのだが。
「……」
ふと目が覚めて、背中に温もりを感じた。
首を捻って何とか見てみれば、御柳がくっついていて。
思わず数秒固まってしまったが、すぐに首を戻して暫く考えた。
素肌に御柳の髪が触れてくすぐったい。
肩の後ろも何だかひりひりする。
今日もまた派手にやってくれたものだな、と思った。
毎度ではないが、この爪の痕というのはなかなか曲者なのだ。
服と擦れて痛いというのもあるが、人目も気になる。
弟や妹達に、どうしたのかと聞かれても答えづらいし、といってもそれは最近良い言い訳を考えたからもういいのだが、部員達は変に勘繰ってしまうのでどうしようもない。
それならまだこれはどうしたのかと聞かれて、下手な言い訳をしているほうがましというものである。
痛みを覚える度、御柳を思い出す。
何だか皮肉なものである。
それでも嫌ではないから何も云わない。
するとどういう訳か、どんどん傷をつける頻度が増え、しかもどんどん深くなる始末で。
どういう訳かと考えても何も思い当たらないし、いちいち聞くのも野暮ったいと思い、放置してある。
特に悪いことは働いていないし、勘違いされるようなことだってしていない。
となれば、これは御柳の癖かな、とかなんとかいうところにいつも落ち着く。
それ以上深く考えたことはないし、その必要もないと思っていた。
「…起きろ、御柳」
「……ん」
「朝練に遅刻するぞ」
「……んん」
「起きないなら置いていくからな」
「…やだ…」
「なら早く起きろ」
低血圧と云う訳でもなさそうなのだが、御柳の寝起きの悪さは天下一品だった。
「なー…」
「ん?」
「キスしてくれたら…起きる」
片目を薄ぼんやり開けた御柳が、口の端に笑みを浮かべて云う。
「…寝ぼけているのか?」
「ひっでーの…」
「何甘ったれたことを云っている…、…御柳?」
いろいろ云っている間にまた御柳は夢の中に戻っていたようで、軽く寝息を立てていた。
「……仕方のない奴だな」
髪を撫でてから、額に軽く口付けてやる。
「…早く起きろ、馬鹿」
呟いて、洗面所へと向かった。








「ひでーっすよ先輩ー!何でおいてくんすかー!」
玄関の閉まる音で目を覚ました御柳は、一気に脱力して暫く動く気になれなかった。
なんて非情な人なんだ。
カワイイ恋人を置いて先に行くとは。
一度起こされたような気もしないでもなかったけど、でもひどい。
朝飯を用意していってくれる暇があるならもう一度くらい声をかけてくれたらよかったのにと思った。
しかもその朝飯を味わってたら遅刻をした。
「・・・でもまーとりあえず、遅れてスンマセン…」
「理由は何だ?」
「わかってるくせに…」
「ん?何か云ったか?」
「…イエ。理由はですねー…」
主に寝坊に決まっているが、素直に云うのもつまらなかったので、少し考えた。
「…王子からの目覚めのキスが、なかったもんで」
「……」
屑桐が溜息ついて御柳を見る。
いつも通りだなと御柳は思ってしまう。
「やだなー冗談っすよ」
「…したぞ?」
「へ?」
何のことだかわからなくて思わず聞き返す。
「だから、キス。したのにお前は起きなかった」
「う…っ嘘だろ!?」
「こんな嘘をついてどうする」
「だって俺…知らな…」
「寝ぼけていたのではないか?」
びっくりだ。
寝耳に水ってやつだと思った。
というかこの場合は。
「寝耳に水じゃなくて寝顔にキス…」
「は?」
「いっいや!なんでもねーっす!」
どうしよう。
自分の知らない間にそんな嬉しい出来事が起こっていたとは。
でも、自分は寝てた訳だからそんなことを云われてもという感じで。
「ね、センパイ」
「何だ?」
「もっかいして下さいよ」
「…」
「キス」
「……」
また屑桐は溜息をつく。
溜息つくと幸せ逃げるって云うのに。
ま、俺は逃げないけど。
呑気にそんなことを考えていたら、額にでこぴんをされた
「いだッ」
「遅刻したから駄目だ」
「そんなー」
「練習始めるぞ」
「ねー屑桐さーん」
呼ばれて、歩き始めていた屑桐は足を止める。
「何だ?」
「俺のことさー、ちゃんと好き?」
「答えれば何か変わるのか」
「さぁ…」
「…」
御柳が首を傾げると、屑桐は何かを考えるように視線を外した。
「お前は好きでもない奴とキスしたり抱き合ったり出来るか?」
「…場合によります」
「素直な奴だな」
呆れた顔で屑桐は云う。
「でも男とは、どんな場合でも好きじゃねーと抱き合ったりは出来ないです。だから俺屑桐さん大好きです」
「…」
「うん。…つーかさ」
「ん?」
「何で俺がこんなこと云ってんですかね。屑桐さんずるいっすよー」
云って御柳は部室のベンチにどかっと座った。
「俺のこと話したんだから、屑桐さんからも聞かして下さいよね。世の中ギブアンドテイクってやつっしょ?」
「本当に…仕方のない奴だな」
呆れた様子で屑桐は身を翻し、ドアに手をかけた。
「待てって…ッ」
御柳は弾かれたように立ち上がり、屑桐のユニフォームの端を掴む。
「…云わなくても通じているものだと思っていたがな」
「云わなきゃ伝わんねぇっすよ。俺頭悪ぃから」
「…」
屑桐も御柳のほうへ向き直り、御柳を見据えた。
「…俺は、好きでもない奴とキスしたり出来るほど器用ではない」
「…もっと」
屑桐が御柳の髪を指で遊ばせ始めると、御柳はくすぐったそうに肩を竦めた。
「好きでなければ抱いたりもしない」
「もっと…」
「…肩にこんな傷を付けられて、黙っていたりもしない」
御柳が静かに抱き着き肩口に顔を埋めると、屑桐はそのまま部室の戸に背中を預けた。
そして御柳の背にそっと手を伸ばして。
「もっと。もっと云って…」
「…好きだ、御柳」
「…キスして」
物凄く至近距離で呟いて笑んでみたら、屑桐が一瞬戸惑ったような顔をした。
そして。
「……やはり今は駄目だ」
人差し指をぴとりと御柳の唇に押し当て、窘めるように云うと、御柳は只笑うしかなかった。
「あははっかなわねぇや…。でも大好き」
「先程聞いたばかりだが」
ぎゅ、と抱き着いていたら髪を撫でられて、凄く居心地が良いと思った。
「…後で、すげー沢山キスしましょーね」
「…」
「沢山いちゃいちゃしましょーねー」
「……」
すりすりと顔を擦り寄せてくる御柳を、猫みたいだと屑桐は思った。
「返事して下さいよー?」
「…ああ」
「ホントに?」
「ああ」
「たーくさんですよー」
「ああ」
「約束っすよー?」
「わかっている」
にこっと笑うと、御柳はぱっと体を離した。
「さっ練習ちゃっちゃとやっちゃいましょう!」
「…珍しくやる気だな」
ふっと笑ってみれば満面の笑みで返されて。
「ご褒美があるってんなら俄然やる気も出ますってー!」
「…」
うっかり、この手は使えると思ってしまった。
「あ、今変なこと考えてたっしょー」
御柳はそう云ってけらけら笑った。
なんだかんだ云って結構見透かされているな、と屑桐は思った。
「…いや。お前じゃあるまいし」
「はは、ひっでーの」
「…行くぞ」
「はーい」
がちゃり、と部室のドアを開けると、他の部員達が準備運動をしているところだった。
「お、墨蓮みっけ。じゃーね、先輩」
「…あぁ」




何気ない生活だって、先輩の一言で俺はすっげーかわっちまうんだぜ?




だからさ、これからもたくさん、たくさんスキって云ってよ。
















END




****************
初めてですかね。
屑御は。
すんごい楽しかったです。笑




2005.7.10