* 手を差し伸べて * 「先生、先生。ちょっとでいいです。手を貸して下さい」 「…」 「無視しないで下さい!先生、手!」 薄暗く、また薄寒い地下牢の奥の本棚で、ハリーは喚いた。 少し離れた机に向かっているスネイプはどこ吹く風でハリーをほぼ無視する。 悪態をついて、ハリーは手元にあった本を軽く放った。 どざ、と荒れた音がして、スネイプはやっと振り返った。本が心配だったのである。 「もう少し、丁重に扱って頂きたいものだね」 「先生が僕を丁寧に扱ってくれるならね」 スネイプの悪態をものともせず、ハリーは刺々しく言葉を返した。 そして次々とまた本を積み上げ、たまに目についた本を広げてみたかと思えばまた放り出し、そんなことを続けて二十分程経った。 段々狭くなってくるスペースにハリーは身動きが取れなくなってきて、とりあえず移動でもしようかと腰を上げた。 積み上げた本が、ぐらりと揺れる。 あっと思ったときには既に遅く、本はばらばらと倒れ出し、ハリーはそれに足を取られて尻餅をついた。 「痛…ッたァ!」 スネイプはハリーの姿を一瞥し、溜息をつくと、口の中で何か呟いて杖を振った。 ばたばたと本が慌てて本棚へと帰り始めた。ハリーの下敷きになっていた本もなんとかハリーを振り落とし、本棚へと戻っていく。 数時間前までの、神経質なまでに綺麗に整頓された本棚に戻った、とハリーは床に転がったまま思った。 「…先生。一言よろしいですか」 「聞こう」 体を起こし、ぺたりと座り込んで、ハリーは改まった口調で話し掛けた。スネイプはにべもなく返してくる。 「云った本、本当にあるんですか?」 「我輩を疑うのかね」 「疑って…………、ます」 スネイプはおもむろに立ち上がると、消え入るような声で云ったハリーの元へつかつかと歩み寄り、本棚と対峙した。その無駄に鋭い視線が本の背表紙の表面を滑っていく。 ハリーはその横顔をじっと眺めた。 数時間程前、ハリーはこの地下牢まで、魔法薬学のレポートを提出しに訪れた。 ハリーがレポートを渡した後、なんとか基準に達したものではあったという旨を聞いてもなおまさにその場に居座ろうとする態度を訝って、スネイプはまず何をしているのかと訊いた。 図々しかろうが何だろうが、近くの椅子に座るなりソファに飛び乗るなりすればまだ気にもならなかったかもしれないが、返却されたレポートを手に傍らに立ち尽くされれば流石に気になる。 「大変そうですね」 机の上に散乱した羊皮紙を、堆く積み上がった本を、酷使され過ぎて駄目になり放り出された羽ペンを、そして何よりいつも以上に顔色の悪いスネイプを見て、ハリーは朗らかに云った。 次に云いたいことなど考えずともわかった。 「何か手伝えることがあったらしますけど」 「結構だ」 スネイプの素早い返事にハリーは眉間にしわを寄せた。 「もう終わるんですか?」 物事を明るく考えてみようと云うハリーの努力もスネイプの返答で無に帰った。 「いや、まだ」 「じゃあ生徒個人に関わることなんですね。それなら僕が手伝えないのも、無理は…」 「いや。そういう訳でも無い」 「…」 剣呑な視線をスネイプにぶつけて、ハリーはじっと佇んだ。スネイプはあえて気付かないふりである。 「手伝ったほうが、早く終わりません?」 「急ぎでは無い」 「じゃあ、かまってください」 「遊ぶ為に空く時間は、生憎無い」 羊皮紙から目を離さず、淀みなく答える男の横っ面でも叩いてやろうかとハリーは一瞬思ったが、思っただけだった。 「…居たいなら居るといい。それぐらいなら構わん」 これはスネイプにとっては精一杯の言葉だった。 ハリーの見た通り仕事は山のようにあり、そしてそんなに急ぎでは無いが今片付けてしまいたいと思っていて、だが手伝ってもらうというのは、元々好きではない。ハリーを上手くかわすための嘘などではなく、全て本当のことだった。 恐らくハリーも嘘だなどとは思っていない筈だ。だが当てこすりを云いたくなってしまうのも、仕方が無い。 「傍にいて同じ空気吸ってるだけで幸せ、なんて云える程僕人間が出来てないし、先生のように枯れてもいません」 「…ポッター」 「ハリーと呼んで下さい」 思わず眉間に深く寄ったしわを指でなぞり、スネイプは反論しようと喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。 「お手伝いしますよ」 ハリーはにっこり笑む。 「…………本、を」 「はい」 「『魔法薬学研究読本』という本だ。そこの棚にある」 「はいっ」 探してくれ、という協力要請に勢いよく返事をしてハリーは振り返ってみたが、あっという間に意気消沈した。蝋燭の火を吹き消すような呆気なさだった。 「…どの棚です?」 「覚えがあれば頼みはしない」 そこの棚だ、と指されても指したうちには入らない程棚の数は多く、そして蔵書の数といったらもう優に四桁台に乗っかってしまっているだろうことが窺えて、ハリーは立ち尽くした。 この棚達が昨日今日で突然出現したものではないことぐらいわかっている。だがいざ意識してみるとなんて量なんだ、と思えてくる。 「先生、これ全部読んだんですか」 「大変な重労働になるかもしれんな。嫌だと云うなら構わん」 「僕に今度何か貸してくださいね。さァやっぱり端っこからかな」 全く噛み合わない会話を交わした後、ハリーは棚の端から本の背表紙を眺め始めた。 たまに背表紙の字が読めなかったり、背表紙自体が無くなってしまっているものもあって、それらはいちいち棚から引っ張り出して改めなければならなかったが、そう面倒な作業でもなかった。 スネイプはそんなハリーをほんの暫く眺めていたが、すぐに机に向き直った。 暫く、無言のままで互いに作業を進める。 「…見付かりません」 座り込み、回りに本を積み上げて、ハリーは呟いた。 当たり前のようにスネイプは無視する。 「何色の表紙ですか?厚さは?」 めげずにハリーは呼び掛けた。 大儀そうにスネイプが振り返る。 「そう厚くも無い。色は…確か紫。だが大分古くなっているから…、」 「…ありがとうございます」 大きく頷くと、ハリーはまた本棚に向き直った。 それからまた本を眺め、紫に近い色をしたものは特に注意を払い、だが一向に成果の上がらないまま時間だけが過ぎた。 「…役に立たないアシスタントですみません」 本棚を眺めたまま、ハリーは呟いた。 「ああ」 初めから期待などしていないような口調で、スネイプは返事をする。 引っ張り出したまま戻さなかった本が辺りに堆く積み上げてあって、なんとなく身動きが取りづらかった。 ハリーはその本を見渡して、棚の本を眺めて、スネイプを見つめた。 「ちょっとだけこっちに来て下さいよ。一緒に探しましょう?手、貸して下さい」 まるで聞いていないような素振でいたスネイプが、ちらりとハリーを振り返った。 「我輩の手伝いをしているお前の手伝いをしろ、と?」 「い、いいじゃないですか。本、探してるんでしょう?入り用なんでしょ?」 「確かにそうだが」 「だったら、ね?」 ハリーはそう云ってスネイプに視線を送ったが、スネイプはまた机に向き直った。 「後で我輩が自分で探し出しておく。さあ、用は無くなったぞポッター」 「ひどいですよ。一緒に探しましょって云ってるじゃないですか。ほら、先生?手、貸してくださいってば」 ハリーの言葉にスネイプは一瞬手を止めたが、またすぐに羽根ペンを走らせ始めた。 そんなスネイプの背中を眺めて、ふわふわ動く羽根を見て、ハリーは眉を寄せた。 「先生、先生。ちょっとでいいです。手を貸して下さい」 「…」 「無視しないで下さい!先生、手!」 薄暗く、また薄寒い地下牢の奥の本棚で、ハリーは喚いた。 だがスネイプはちらりと横目でハリーを見遣っただけで、殆ど無視をした。 そのときの横顔が今の横顔と記憶の中で合わさって、ハリーはぱしぱしと瞬きをした。そしてもう一度目の前の男の横顔を眺める。 「…我輩の顔を眺めていて本は見付かるか?」 本の背表紙を眺めたまま、突然スネイプが冷たく云い放つ。 びくりとして、ハリーは半歩程後ずさった。 「いや、あの、先生の横顔だなぁって、思ってたら、ちょっと…」 慌てたハリーの顔を一瞥して、スネイプはまた本棚を眺めた。 「当たり前だ」 「そう、ですね」 ぎこちなく返事をして、ハリーは本棚へ向き直る。 「……」 「…あったぞ」 「え?」 云って、スネイプは本棚に手を伸ばした。そして一冊の本を引っ張り出す。 紫というより、灰に近い色だった。日に焼けでもして褪せたのだろう。 スネイプの手元にあるその本を、ハリーは覗き込む。 「…『魔法薬学研究読本』?」 「あァ」 事もなげに返事をして、スネイプは題字の上を撫でた。ハリーは眉をしかめる。 「……読めませんよ?」 「ラテン語だ」 「聞いてませんけど」 「失念していた」 少しも悪びれた様子は見せず、スネイプはその本を手に身を翻した。 ばさりとローブがなびいて、ハリーは慌ててその端を掴む。 「せ、先生」 やや強張った声に、スネイプは素直に振り返る。 「役目は終わっちゃったけど、まだ居ていいですか」 懇願のようにも聞こえるその言葉にスネイプは溜息をついて、ハリーのしわの寄った眉間へ手を伸ばした。小突かれるのかと思ってハリーは咄嗟に目を暝る。 だがその手は優しく額を撫で、頬を撫でた。 「…せ、せんせ」 「居るくらい別に構わんと先程云ったが?」 ぽつりとそれだけ云うと、スネイプは本を机の上に置いて、奥に消えた。 取り残されたハリーはどうしようかと考えて、とりあえずソファに座った。 随分無理を云っている気がして、なんとなく惨めになった。今のうちに帰ってしまうのも手かもしれない。 暫く考えて、やはりそうしようとハリーは腰を上げた。黙って帰ったところで、居座るより不快な思いは与えないだろう。 静かにドアへと歩み寄った。 「…何処へ行く?」 突然背に投げられた言葉にびくりと肩を揺らし、ハリーは立ち止まった。 躊躇していたのが自分で思うよりずっと長かったのか、この男があまりにも早く戻ってきたからなのか。それはそうとハリーはその姿を見咎められてしまったことには変わりない。 そろそろと振り向くと、スネイプはハリーを訝るような表情で眺めながら、机に湯気の立つコップを2つ置いていた。 「…先生、」 「随分と忙しないな、ポッター?」 嫌味にも聞こえる口調で云って、スネイプはそのままソファに腰掛ける。 「…忙しないのは先生でしょ?邪魔になるのは嫌だから、やっぱり帰ります」 怨みがましくなってしまう口調に少し嫌になりながら、ハリーは云った。 「そうか」 事もなげにスネイプは返事をして、紅茶を啜った。そしてハリーの分のコップをちらりと一瞥する。 つられてハリーもコップを見て、戸惑った。 「…せっかくいれてくれた紅茶が、無駄になっちゃいますね」 独り言のように、呟く。続いてスネイプの顔を見たが、じろりと睨むように視線を投げられただけだった。 「…紅茶が」 「座れ、ポッター」 往生際が悪くハリーが呟くと、スネイプは半ば命令するように云った。 「…はい」 それから悩んだのも一瞬で、ハリーはにっこり笑み、そそくさとスネイプの隣に腰掛けた。 「えへへ」 照れて笑いかけるハリーに、スネイプは口の端を歪めるようにして笑った。 「僕、ここ好きです」 コップに手を伸ばして、ハリーは云った。 「そのソファがか?」 「いいえ」 紅茶を舐めて、ハリーは続ける。 「ソファも好きですけど。僕が好きなのは、先生の隣です」 云ってから照れて笑うハリーの横顔を眺め、スネイプは返す言葉に困って、黙った。何を云えばいいのか選べない、というより、云う言葉が思い当たらなかった。 「…」 「あはは。変なこと云いましたね。気にしないでいいですから」 コップを置いて、ハリーは顔を隠すように前髪を弄った。 その手を掴んで、スネイプは引き寄せた。ハリーははっと顔を上げる。 「先、生?」 「…なら居ればいいと云ったろう?」 「い、云ってないですってば」 「居るくらい別に構わん、と云った」 「それって、…譲歩ですよ。積極性なんか、ない言葉、です」 「…ポッター」 引き寄せた細い手首に口付けを落とし、スネイプはそっと名を呼んだ。 「…ずるいですよ…?」 「ん」 「さっきはあんなに突き放してたのに、今度は、こんな…。大人って勝手だ」 否定はせず、スネイプはハリーの手を開放した。 「それに、」 「…それに?」 「ハリーって、呼んで下さいってば。ね?」 云って、ハリーは膝を寄せた。 それからにっこり笑いかけてくる少年に、スネイプは苦笑する。 「そうだったな」 「そうですよ」 「……、ハリー」 「はい、先生」 スネイプは滑らかな頬を撫で、ハリーはその感触をくすぐったく思いながら目を細め、そして2人は柔らかく唇を合わせた。 END ******************** 初作品なのにな。とか思う。何 思いがけず甘くなって、私のほうがびっくりです。 スネハリは、難しい。 けど書いてみたくなったんだから仕方ない。笑 お粗末様でした。 2006.7.3 |