「なあ、火村…君は、俺の作家としての人生を終わらしたいんとちゃうやろか」 * 塵となり灰となり滓となりそして * 「何言ってんだ、アリス」 言って、火村は有栖川の腹の辺りに腕をまとわりつかせた。 ベッドの中、同じ布団の中で、火村はラフにだが服を着込み、そして有栖川はまだシャツを一枚羽織っただけの軽装すぎる軽装だ。 耳のすぐ後ろで囁くように放たれた声は、妙に体の奥に響く。 この男は絶対その効果を意識して、こんな風にこんな声を出している。 「な…何って、そうやろ?締切近いん、知ってる筈やんか」 「そうだったか?」 「わざとらしすぎる…。俺、言うたやんか。締切近いからあかんて。何回も」 「そうだったか」 空惚けた様子で、火村は有栖川の体をきつく抱きしめる。 その腕の中で、有栖川はもぞもぞと動き、少なからぬ抵抗の意を示す。 「も…いやや、あかんって。仕事しなあかんの。君のせいでやばいんやってばっ」 「つれないな…有栖川先生」 ふふん、と火村は鼻で笑った。 「あほかっ。君はもう満足した筈やろ!?はよ離し!」 「まだ足りないと言ったら…相手してくれるのか?」 「阿保らしい…」 憎々しげに呟いて、有栖川は火村の腕をふりほどいた。 そしてベッドからするりと抜け出し、有栖川は足早にバスルームへ逃げた。 有栖川がバスルームから帰ってくると、火村はソファに深く沈んでキャメルをふかしていた。 「…」 「……」 「………」 ふと目が合って、そのまま離れなくなってしまった。 「…、」 目を逸らしたのは、有栖川が先だった。 そのまま火村の前を横切り、パソコンの前に座る。 スタンバイの状態で放置してあったパソコンは、マウスをクリックしただけであっさり画面を展開してくれる。 ええと、と小さく呟いて、有栖川はキーを打ち始めた。 締め切り前で焦ってはいたが、先の展開はほぼ頭の中で完成してしまっている。あとはそれを文章にするだけだ。 ふー、と長く息を吐くのが背後から聞こえて、有栖川の手は一旦止まった。 振り返らないほうがいいのだろうと思った。 今振り返れば、また長いこと手が止まってしまうこと受け合いだ。 だがだからといってずっと火村を放置しておくのも気まずい。 逡巡した後、結局有栖川は振り返ってしまった。 「…なあ」 「…ん?」 「……今日、授業は?」 話しかけたものの内容など考えていなかった有栖川は、とりあえずそんな話題を振る。 火村は短くなった煙草を灰皿に押しつけた。 「大学自体が休みなんだ、今日は」 「あ、そ。やしこんなとこに暇潰しに来たんや」 「ただの暇潰しなら他にもやることはいろいろあるさ」 「なら、なんでわざわざここまで来たん」 こんな忙しいときに。 そこまで言いはしなかったが、充分に伝わってはいることだろう。 「おい…それはないだろ?顔が見たかったから来た。見たら抱きたくなったから抱いた。それだけだ」 「そこに俺の意志は入らんわけか…」 「だから悪かったって。そんなに怒ることもないだろう」 ベッドに引きずり込んだ後は大した抵抗もしなかったくせに。 今度は火村がそんなことを言外に含んで、少し笑んだ。 「コーヒーでも淹れてやるから機嫌直せよ」 言って、火村は大儀そうに立ち上がった。 有栖川は鼻を鳴らして、パソコンに向き直る。 「君のコーヒーで俺の時間が戻るんなら直す」 「ガキか、お前は」 本当に子供のように口をへの字に曲げた有栖川の頭をくしゃりと撫でて、火村はキッチンへ向かった。 「ガキで悪うございました…」 呟いて、有栖川は再びキーを叩き始めた。 「アリス」 呼びかけられて素直に振り返ると、いきなり口付けられた。 「な…、」 「んな顔すんなよ」 ふふん、と鼻で笑って火村はパソコンの横にコーヒーの湯気の立つマグを置いた。 有栖川は口を真一文字に結んで、火村を見据える。 「君はほんまに…っ、俺をからかって楽しいんか!?」 「ああ、楽しいね」 「んまに…、君がいると、俺のペース保てへん」 「それは、嬉しい言葉だな」 何故そうなる、と思いこそすれ口には出さず、有栖川はキーをぱちぱち鳴らした。 「うん…、コーヒーは、うまい」 マグの端を唇に付けて、有栖川は呟く。 「これで本当に時間が戻るなら…最高やのに…」 「無理言うなよ。だから悪かったって」 少しも悪びれた様子もなく、それどころか横柄に火村は謝罪の言葉を口にした。 「どうしたらお前の機嫌は直る?」 「…そうやな」 火村がそんなことを尋ねてくること自体を珍しいと思いつつ、有栖川はどうしたら許してやるかを考え始めた。 熱いマグを傾けると、口内にコーヒーが流れ込んでくる。 「この作品の…、締切を伸ばしてくれたら許す。もしくは、これを大ヒット作に仕上げてくれたら、間違いなく許す」 「それは、俺に言っても詮無いことじゃないか」 あっさり切り捨てられる。 確かに火村の言うとおりだ、とは自分で言う前からわかっている。 「…はよ書き上がらんかな」 ぽつりと、呟いた。 「書き上がりさえすれば…火村に何されても、こんなに負の感情抱いたりせえへん筈」 「何独りで喋ってんだ」 「お前が好きやって呟いててんて。気にすんな」 「そういうのは、ちゃんと顔を見て聞こえるように言ってほしいものだね」 憎たらしい笑みを浮かべた火村を振り返ると、火村はちょうどキャメルに火をつけるところだった。 「そうや、火村。君をもっと俺に協力的にさせたろうやないか」 「何だって?」 白い煙を吐き出して、火村は問う。 「この作品はもうええとして。次の作品。もし締切にちゃんと間に合っていつも以上に売れたら、何でもしたろ」 「…」 有栖川の言葉など聞こえなかったように平然と、火村は煙草を一口大きく吸い込み、ゆっくり吐き出した。 「…言ったな?」 そして殴りかかりたくなるほど端麗な顔で、にやりと笑む。 「ああ。言った」 「よし、乗った。面白い。いつも以上に良い作品、書いてみやがれ」 「ネタがあれば、あとは君の邪魔さえ入らんかったら、書ける。絶対、書ける」 「…………是非頑張ってくれよ、有栖川先生」 何故だか互いに勝ち誇った顔をして、暫く見つめ合った。 END ******************** 謎い話…。死 まあ、続くんでしょう。 2007.12.24 |