「俊也、いないの?」












*  好きだと言っただけじゃないか *












「あれ。じゃん。何してんの」
文芸部の部室にふらりと突然現れたに気付いて、武巳がドアに歩み寄ってきた。
はうすらぼんやりした顔で部室を見回し、首を傾けた。
「俊也探してる。どこか知らない?」
「今日は見てないなー」
言って、武巳は振り返った。
「陛下ー。村神知んない?」
「さあな」
部室の奥で分厚い本の頁を繰っている黒づくめは、短く返しただけで、顔を上げすらしなかった。
武巳は改めて、のほうを向く。
「だってさ。陛下がわかんないんなら、俺ら多分誰にもわかんないよ」
「…」
は黙って、眉根を寄せた。
それが、空目の素っ気無い態度に腹を立てているのだと武巳は思い、慌てて笑顔を作った。
「いや、ほらさ、陛下はいつもあんなんだから。誰に対してもああなんだよ。にこっとなんかしない奴なんだって。気にすんなよ。な?」
「……え?」
だが、は武巳のフォローに再び首を傾けた。空目の態度云々は関係なかったらしい。
「あれ。違った?」
「何が?」
「ああ、いや…。陛下の素っ気無さに怒ったのかと」
「え。あ、ううん。そんなんじゃないよ。ただ、ええと」
武巳は、自分よりも図体のでかい男が、貧困な語彙の中からなんとか言葉を編み出そうとしている姿が何だか可笑しくて、少し笑った。
は壊滅的に語彙が貧困で、故に口下手だ。話していると、相手が小学生のように思えるときがある。
すらりと背は高いし、本人曰く母親に似て髪は自然に茶色く、瞳も色素が薄い。ついでに睫毛も長い。
運動能力には目を瞠るものがあるのだが、学力となると最悪だ。よく二年生になれたなと思う。
顔のつくり自体は文句のつけようがないのだから、もう少しきりっとした表情で、人並みに会話が出来ればモテただろうにと武巳はいつも思う。
はセンスというものも生憎持ち合わせていないので、いつも制服だ。だが村神と違い、適当に着崩している。
「…ううん。何でもない」
「ふうん?」
「じゃあね。俊也によろしく。もしここに俊也来たら、メールちょうだい」
「了解」
がうっすら笑んでひらひらと手を振ると、武巳も笑顔で手を振り返した。
これでも、はにっこり笑んでいるつもりだ。だがどうにも表情が薄い。顔の筋肉が未発達なんだと武巳は勝手に決めている。
「あ、クン行っちゃった?」
の後姿を見送っていた武巳の隣に、稜子が並んだ。
「うん。かっこいいのになーって。もったいないよなー」
「もったいないって、何が?」
部室の戸を閉めながら、稜子が問いかけた。
武巳は鼻の頭を指の先でこすって、うーん、と唸る。
「だってさー、ってあんなに顔イイのにさ、なんかモテそうって感じじゃないんだよな」
「庇護欲そそる感じだよね。守ってあげなきゃ、みたいな」
「いや、そう言うけどけどあいつ、身体能力信じらんないぐらいすごいよ?身体能力だけは」
「うーん、そういうのじゃなくってね。ほら、クンよくネクタイ曲がってたり、シャツがズボンからはみ出てたりするじゃない?そういうの、ああもう、って言いながら、直してあげたくなる感じ。わかるかな?」
「それって、ただだらしないだけじゃないの?」
二人がについてあれこれ言うのに、亜紀が割って入った。
「ていうか、何であのひとしょっちゅうここに来る訳?」
亜紀はに冷たい。あのうすらぼんやりした態度が、どうも気に入らないらしい。だがそれ以前に、はたまに村神を探しにふらりと訪れる程度なので、亜紀はのことをよく知らないのだ。
「だから、村神探しに、だろ?」
何を今更、と言わんばかりの武巳が、あっさり答える。
クンと村神クンって、そもそもどういう友達なの?」
稜子がこの問いを発すると、一同黙ってしまった。誰も知らないらしい。
「陛下、何か知ってる?」
「そうだ、魔王様なら何か知ってるよね」
武巳と稜子はおそらく、空目は村神のことなら何でも知っていると思っている。
空目もそう思われていることにおそらく気付いているが、わざわざ指摘することでもないだろうと放置している。
二人に声をかけられて、空目は酷く大儀そうな表情で、顔を上げた。
「村神とは幼馴染だ」
「え!?」
「でもそれじゃあ、恭の字とも幼馴染ってこと?」
「いや」
空目の返答を聞いて余計訳がわからなくなって、一同よりいっそう疑問が深まってしまった。
「随分昔だが、村神の叔父が空手の教室を開いていたことがあってな。そこにが通っていたらしい。それが縁で、懐かれたと言っていた」
「ああ」
そういうことか、と武巳は頷く。だがすぐに次の疑問が浮かんだ。
「でもさ、普通そうなったら、陛下とも仲良くなんない?」
「さあな。普通が何か知らないからよくわからないが、俺は嫌われているようだ」
「え。なんで?」
今度は稜子が訊く。
「知らん。大した交流もした覚えがない」
「あ、そう…」
亜紀が呆れて返事をした。空目を普通の尺度で測ろうとしているのが既に間違っていることに、呆れているのだ。
それから言葉を続ける。
「私、あのひとは村神を探してる姿しか見たことないよ。村神はあのひとから逃げてるわけ?」
苦手ではあるが、よく知らない人間なので『あいつ』とも呼べず、亜紀はを『あのひと』と呼ぶところで落ち着いている。
「…あ。そういえば」
「どうなわけ、陛下?」
「……ああ、そうだな。逃げているのかもしれん」
言って、空目は鼻を鳴らした。
途端、ばたばたと騒がしい足音が近付いてきて、何事だ、と武巳たちが思った瞬間、戸が勢いよく開いた。












「む、らかみ…………?」
部屋に駆け込んできたのは、村神だった。
バタン、と乱暴に戸を閉めて、そのままその場にへたり込む。
酷く息を切らしている村神の様子を、その場にいた空目以外の全員が訝った。
「ど、どうしたの、村神クン?」
「………、……」
返答も出来ない程息が苦しいのか、肩で息をしながら、村神は黙って稜子を見上げた。
か」
「……ああ、……まいった……」
事も無げにいう空目に、村神はなんとか返事を捻り出した。
「た、に何されたんだよ?」
あの温厚そうなに何をされたらこんなに村神が慌てるのかが少しも想像出来なくて、武巳は思わずつんのめりそうになる程驚いた。
そんな武巳のオーバーリアクションは無視して、村神はふらふらと立ち上がった。
だがすぐにびくりと戸を振り返り、部屋の奥へ足早に向かった。
「村神?」
「来た」
「え、な、何?」
「足音がする。が来るだろうから、俺はいないと言ってくれ」
慌てた口調で言って、村神は部屋の一番奥のカーテンの中に隠れた。傍に大きな本棚がある上、その前に空目を配置しているので、一見誰かが隠れているようには見えない。
何が何だかよくわからないうちに、のんびり戸が開いた。
そして、暢気な表情のがその隙間から顔を覗かせる。
「俊也来たよね?」
一番戸の近くにいた武巳に、は問いかける。
「き、来てないよ…」
どもっている上に、口調に自信がない。明らかに怪しい。
「来たよね、亜紀ちゃん?」
は標的を変え、今度は亜紀に問いかけた。
大して仲が良くない男にいきなり名前をちゃん付けで呼ばれ、亜紀はあからさまに険悪な顔をした。
「来てないよ」
面倒が嫌なので、亜紀はとりあえず村神の言っていたことに従う。
「……」
は黙って眉根を寄せた。これでも怒っているつもりなのかもしれないが、よくわからない。
次に稜子へ視線を送ると、一瞬は泣きそうな顔をした。
本当に泣き出すのかと思って稜子は慌てるが、はそのまま部室を見渡した。そして空目に目をとめる。
「…なんで俊也隠すの?」
言いながら、は空目に歩み寄る。カーテンが少し揺れた。
「隠す?」
そらとぼけて、空目は答えた。
「そうだよ。いっつも俊也は俺じゃなくて、恭一くんばっかり。ずるい」
「何の話だ」
「俊也はそんなんだし、恭一くんも俺に冷たいし。俺、仲良くしたいのに」
言いながら、は空目の手を引っ張った。いたって穏やかに、だ。
空目は抵抗もせず、大人しく引かれるままに立ち上がった。
はそれから空目の座っていた椅子をどけると、カーテンの上から、村神に抱きついた。
「ね、俊也?なんで逃げるかな?」
途端にカーテンの中の村神が、もそもそと動き始めた。精一杯の抵抗らしいが、傍から見ているとなんとも間が抜けている。
「……放せ!!」
「どうして?何で逃げるの?何で嫌がるの?俺、」
はいったん言葉を切った。
村神のほうがより背が高いのだが、村神はの手を振り切ることが出来ずに、ただもがいていた。
「俺、俺さあ、ねえ、俊也?」
聞いてるの、とは暢気な声で訊く。村神はまだ抵抗を続けている。
「俺、俊也のこと好きなだけだよ。好かれるのは嫌?」
場の雰囲気が一瞬凍った。
好かれるのが嫌な人間などいない。問題は、相手だ。
だが、と村神は改めてカーテンの中で考える。
「おい」
「はい」
村神が呼びかけると、は抱きついたまま、大人しく返事をした。
「お前の言う『好き』は、どの『好き』だ」
「え。どうって、言われても」
どうと言われても、の貧困な語彙では説明するのは難しい。自覚もあるので、今は困っているのである。
「空目と仲良くなりたい、っていうのと同じ『好き』か?」
「ううん。俺、恭一くん好きだよ。でも、違うんだよ。俊也は特別なんだよ」
拙い言葉で、は想いを伝える。
だが村神は背筋が凍りそうだった。
既に他の全員は凍り付いてしまったように動かない。
「放せ、
「でも」
「いいから。もう逃げねェよ」
「…うん」
村神が言うと、はゆっくりと離れた。
ばさりと大仰な様子で、村神はカーテンの中から現れた。
「ちょっとついてこい」
「え。うん」
「悪いな、みんな」
「あ、…うん」
皆へ向けて投げた言葉に、とりあえず武巳が頷いた。
そのまま村神とは黙って部室を出て行った。












「ねえねえ、あれ、懐いてたっていうレベル?」
二人がいなくなってすぐ、武巳はそんなことを言った。
稜子が身を乗り出して、話に参加する。
「特別だって。やー、なんかいいなー。私もそういう相手、ほしい」
「や、やっぱり特別って、そういう意味ってこと?」
武巳は思わずどもる。
亜紀があからさまに嫌な顔をした。
「下世話って言わないかね」
「公衆の面前で告白しちゃうが悪い」
武巳は無駄に威張って、きっぱりと答える。亜紀は溜息をついた。
「私、あいつに名前教えた覚えないけど」
『あのひと』から『あいつ』に降格している。だがそんな些細な変化には勿論気付かず、武巳は明るく答えた。
「あ、俺俺。俺が教えた」
「……。…恭の字、嫌われてるわけじゃなかったんだね。あれ、嫉妬って言うんだよ」
鉾先を変えて、亜紀は空目に話を振った。
空目は何でもないように、亜紀に視線を返す。
「…そうか」
「恭の字には何かないの?番犬持っていかれちゃったよ」
「……」
空目は黙って目を細めた。何かを考えているようだ。
「…俺にとって村神が番犬だとしたら、にとっては盲導犬のように思える」
「は、」
「ああ、それっぽいかも」
亜紀が意味を掴みかねていると、稜子はあっさり納得したように声を上げた。
クンにも必要そうだよね。村神クン」












校舎の裏までを連れてやって来て、そこでやっと村神は足を止めた。
「……リンチ?」
がすっとぼけた表情で首を傾けると、村神は苦笑しながら振り返った。
「馬鹿。そんなことするか」
「校舎裏になんか連れて来るからてっきり…。…じゃあ、何?」
発言と同じくらいすっとぼけた表情で、は首を傾けた。村神はその顔をじっと眺める。
「…何?」
「ほんと、変わんねェな、お前」
「何が?」
「何もかも。いい意味でも、悪い意味でもだ」
「……具体的に、言ってみて」
小学生のように言って、は村神の言葉を待つ。
「悪いとこは、そういう、マイペースなとこだ。盲目的だし」
「………」
聞きたいと自分で言ったくせに、面と向かってはっきり言われて、は明らかに落ち込んだ表情を見せた。
そんなを見て村神は、眉尻を下げてふっと笑む。
「いいとこは、真っ直ぐなとこだな。…つまり、その、」
「俊也を、好きってゆうところ?」
村神が詰まってしまった言葉を、はあっさり口にした。
「ねえ、それは俺にいいようにとってもいいの?」
ふわ、とが柔らかい笑顔を向けると、村神は照れたのか何なのか、くるりと背を向けてしまった。
「ね、ね、俊也?こっち、向いて。大好きだよ、俊也」
が村神の背中に張り付いてみると、村神はそれを無下に振り払う。
「ねねね、どうして俺が好きって言うと怒ってるみたいになるの?好きって言っただけだよ。俺ね、俊也のこと大好きなんだよ」
「だけって、お前、そんな簡単なことじゃないだろ」
首だけで振り返って、村神はぼそぼそと告げた。
「お前は簡単に好きだとか何だとか言えるみたいだけどな、俺には……」
「…俊也、誰に好きって言うの?」
村神に顔を近づけてが問うと、村神は一瞬言葉を選ぶように迷ったが、腹を決めたのか、口を開いた。
「お前だよ」
「え?」
「お前にだ。…
「……ほんと?」
が口の端を僅かに上げて、微笑んだ。
「お前、ほんと、小さい頃から表情変わりにくいのな」
「俺、今、笑ってるつもりなんだけど」
「わかってる。小さい頃からずっと一緒だったからな」
「うん。ずーっと一緒にいてくれるのは、俊也くらいだもん」
言って、は村神に触れるくらいの口付けをした。
「…ッ、お、前なあ…っ」
「何?」
「流れとか、考えないのかよ」
「わかんないから。そういうの」
悪びれもせず、は笑んだ。
恥ずかしさで直視出来なくて、俊也はの色素の薄い髪の毛をぐしゃぐしゃとかきまわした。
「わ」
「戻るぞ、俺は」
「え。連れてってくれないの?」
「お前、部活は」
「部活…、」
部活に行かなければならないが、もっと村神の傍に居たいのだと、は村神の制服の端を掴んだ。
「……」
仕方ないな、と村神は少し屈んでの顔を覗き込んだ。
そしてそっと口付ける。
「と…」
「部活、行ってこい。な?」
小さい子を諭すように、村神が言う。
暫く逡巡した後で、はこくんと頷いた。
「……行く、けど。俊也にお願い」
「もう一回しろとか言うんじゃないだろうな」
「言う。よくわかったね」
「…」
えへへ、とが幼い子のように笑むと、村神もつられて笑った。
「お前はほんとに…いつまでもガキだ。なあ、?」
「いつまでも俺の保護者しててね、俊也」
酷く嬉しそうに笑んで、は再び村神と唇を合わせた。




















END




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おわー。何書いてんだろ。
恥ずかしーもん晒してすみません…。




2007.8.24