「遠野物語ならうちにもあるよー」

最近本当に村神とは仲が良い。

「え?…あぁ、うん、そうそう。陛下に借りたんだ?陛下なら持ってそうだもんねぇ。すっごい読み込んでそう」

これが嫉妬というんだろうか、とかなんとか、軽く実感している。

「あはは、あたり?…ううん、俺は貰ったの。じい様に」

自分の情けなさに泣いてみたくなるけど、それじゃ惨めなだけだ。
















* 観測者 *
















「はい、俊也。今日は砂糖多めです」
云いながら、は村神の前にコーヒーを差し出した。
読んでいた本から視線を離し、顔を上げた村神にはにっこりと笑いかける。
「ありがと」
そんなに、村神もうっすら笑んで返した。
これは亜紀に云わせれば鳥肌モノであるらしいが、最近は皆慣れてきたらしく、何も云わなくなった。
「…素直に、砂糖入れ過ぎたって云えよな」
薄ら笑顔を崩さず、村神は云う。
「……ばれてた」
「当たり前」
「ごめんね?」
「別にいい」
たかがコーヒー、されどコーヒー、などと云って他人をいじめる趣味はない、という感じで、村神はそっけなく云った。
特に親切心がどうとかいうことではないらしい。
だがこれが村神の常だ。
そんなこんなで楽しそうにやっていると村神を武巳は遠目に眺めていたが、遂に何とかの尾が限界に近付いてきたところで、を部室から連れ出した。
といっても、武巳は自分がそんなキャラではないことは重々承知していた。
だからこれは只の名目上のものであって、実際はやきもきしすぎて見ていられなかっただけである。
「ちょっ…まだお茶菓子出してないよー?」
お盆を持ったままのと、勢いで読みかけの本まで持ってきてしまった武巳が向き合う。
どういうことかと首を傾げているを見ていたら、武巳の熱もあっという間に下がってしまった。
「で、何なのさ?」
「えーと…」
「お茶菓子出しに戻っていい?話は後で聞くよ」
「…うん、ごめん」
渋々武巳が掴んでいた腕を離すと、はあっさり部室に戻ってしまった。
「馬鹿…」
















「生まれた瞬間にはね、色んな俺が存在してるの。将来医者になって裕福に暮らす俺。殺人犯になって警察から逃げ回り続ける俺。宝くじが当たって一生遊んで暮らす俺。交通事故で早死にする俺。でも、名前をつけるとその瞬間に不可能な未来はいくつか死んでいく。タネは、名前をつけることによって自分をその家柄に所属させることにある。俺はだから、家のくんな訳で。そうやっての家から考えると、陰陽師になる俺、悪霊に取り殺される俺、てのは実現可能な未来になるけど、霊も見えない呪いも発動出来ない札も使えない俺っていうのはいなくなっちゃう。ウチの霊能力は自然に起こる遺伝とは全く関係ないしさ。XとYのグラフを思い浮かべるとわかりやすいよ。Y=Xのグラフで、Xは時間を表すとしたら、Xの値は常に正でしょ。グラフの形からいって、値は第一象限から出ないから、つまりそこにある値全てが実現するであろう未来。他の第二、第三、第四象限にくる値は全て実現不可能な未来にあたる。Xの向きが変わるなんてまず有り得ないから、人によって変わるのは象限ごとの内容だと思って。で、」
「あの」
稜子が手を上げた。
「いまいちついてけないんだけど…」
あはは、と苦笑しながら云った稜子を眺めた後、は考えるような仕種をした。
「今ので精一杯なんだけどな、俺……。どうしよ、もしかして皆にも伝わってない?」
不安そうに見回してみると、武巳と目が合った。
「俺まだ平気。なんとか」
「ホントに?」
は笑った。
「じゃ、平気だね」
他の皆は、という意味合いであろうが、は云った。
のなかでは、稜子と武巳とのどちらかが最低ラインなのである。
ことによってこの二人は入れ代わるので、どちらが下かという定義はの中にはない。
「…わからん奴から外れてきゃいいだろ。とりあえず俺は続きが聞きたいからな」
「そうだね」
村神に続いて亜紀も云う。
「わかった」
二人に頷いてから、稜子にごめんね、と声をかけ、はまた続ける。
「名前だけじゃないんだけどね、未来を収束させる為のことって。でも一番大きいのが名前。生物の人生って必ずどこかに収束するようになってるの。Xは、時間は無限大の値を取れるけど、ていうかXは無限大じゃなきゃ計算狂うんだけどね、Yの値は絶対に発散しないようになってる。ひとつひとつの出来事により、人生はどんどん収束に近付いていく。あ、収束イコール死ぬことじゃあないからね。それで、名前付けっていうのは、えーと…関数の傾きを決定するのと同じぐらいの効果がある。マイナスの値を取るか、または急なのか緩やかなのか。ここではマイナスの値が取れるんだよ。時間とは関係ないから。物理的にオーケーでしょ?そこから先の出来事で変化するのはどちらかといえば切片のほうかな。でも微妙にだけどね。人間の力ではそんな大きくは動かせないから。これだけじゃないけど、これが名前付けが呪いと同じだと云われる主な由縁。式神に名前をつけられないのもこれが原因」
村神が、先程この講義の為にが入れ直したコーヒーに口をつけた。
「式神に名前をつけられないのは、その能力を制限してしまうから?」
亜紀がきいた。
「それもあるけど、から名をやったとなると、使える力もの為のものばかりになってしまうから。自由にしてたほうが多分強い。そのせいでに危害が及ぶことも皆無じゃないけどそれぐらいは甘んじて受けなきゃ」
は苦笑した。
武巳は首を傾げる。
今のはどこに笑うところがあったのかわからなかったからだ。
「なんで?」
武巳より先に稜子が聞いた。
「こいつら式神は、自由なのにずっと傍にいてくれてるから。だから友達って呼んだりしてるんだけどね」
「…」
「喧嘩だってするし、今日あって楽しかったこと、嫌だったこととかの話もする。友達でしょ、普通に」
そう云ってが笑うと、一同黙ってしまった。
はそうして黙ってしまった皆を見回した。
「コーヒー、おかわりいる人」
にっこり笑んで云うは、講義をしていた陰陽師ではなく、文芸部のマネージャーに戻っていた。












が給湯室へ向かって間もなく、今までずっと黙っていた空目が口を開いた。
「…名前をつけない理由は、式神を祓われないようにする為でもあるのだろうな」
「え?」
武巳が声を上げる。
「名前、その式神を召喚、または作成する方法、属性、など、陰陽師には情報が命取りだからな。そのものに関する情報は少なければ少ない程良いだろう。それに名前付けというのは大きな意味を持っているのだろう?だったら尚更だ」
「…ふーん」
「あ、そうか」
武巳に続いて、今度は稜子が声を上げる。
クンに誕生日きいたんだけど、教えてくれなかったのってそのせい?」
「だろうな」
「住所も教えてくんねーしな」
「私達って信用されてないのかな…」
急にしゅんとし出した稜子を何の感情も込めずに空目は見やると、機械的に足を組み替えた。
「そういう訳ではない」
「…じゃあどういうことだ?」
と、村神。
「陰陽師とはつまり、そういうものだということだ。は呪いが専門だというのなら尚のこと」
「…誕生日だとかを教えるということは、藁人形と五寸釘用意してる奴のところへ、自分の髪の毛差し出しに行くようなもん、てか」
「まぁそんな感じだな」
村神は冗談めかして云ってみたのだが、あっさり空目に肯定されてしまい、自分でも驚いているようだった。
「俺らにその意志がなくても?」
「関係ないな。お前らが操られて情報を吐かされる場合も想定出来る」
「それこそ呪いなんか関係なしに、催眠術だとかで簡単に出来そうだね」
武巳の質問に、亜紀も口を挟んできた。
「じゃあ俺らは平気なのか…?」
武巳が呟くように云った。
「俺ら、普通に誕生日も住所も、いろんなこと色んな人に云いまくってる。村神の云うように、髪の毛配って回ってるみたいだ」
「そうだよ…」
深刻そうに武巳が云うと、稜子も急に不安になり出したらしく、眉尻を下げた。
空目が軽蔑するような視線を武巳達に投げ掛けた。
本人にそのつもりはないかもしれないが、武巳にはそう見えたのだ。
「一体誰がお前を狙っている?」
「は…」
「それともお前は、そこら中で恨みを買って歩いているのか」
「え、いや…」
武巳は怯んだ。
稜子もきょとんとしている。
「プロは、呪術に対するリスクを知っているから何でもない素人相手に好奇心などでそれを行ったりはしない。素人ならするだろうが、それはたいして上手くはいかないだろうし、何よりもっと簡単な方法を選ぶだろう。素人の場合だと個人情報を駆使したとなると、犯人の特定も安易に出来てしまうことが多いからな」
そんなことにも頭がいかないか、とは空目は云わないけれど、そんなことを云われている気分になって、武巳は萎縮した。
大抵こういうのは武巳の被害妄想であったりするのだが。
「なんだ…よかった」
稜子が隣で胸を撫で下ろすのがわかった。
「でも素人って結構怖いよ?」
「!」
いつからいたのか、は円に加わっていた。
「いつから…」
早鐘のような心臓は無視して、武巳は声を搾り出した。
「ん、今さっき」
は笑ってそう云った。一同は一つの机を囲んで円になっていて、個人では死角があるが、全員共通の死角などある訳がなかった。
だが現実に、誰にも気付かれることなくは、武巳と稜子の間に座っていた。
「あやめちゃんみたい…」
稜子が云う。
「そうでしょ。得意なんだ、これ」
云って、は楽しそうに笑った。
「気配消すのは一番最初に習ったよ。実際会得出来たのはここ数年だけど」
そんなを、空目は目を細めて一瞥すると、膝に乗せていた本を机に置いた。
「…式神は今何処にいる?」
唐突に空目はそうきいた。
「そこらへん」
云っては村神の頭上を指差した。
「これはチャンネルを合わせる為の媒介か?」
「うん」
空目との間で、よくわからないやり取りが展開されようとしていた。
置いていかれるのはまっぴらごめんだ、とばかりに村神は口を挟む。
「どういうことだ」
「…こいつは、異界のドアを開ける為の鍵」
「前にお前もこいつをそんな風に云ってなかったか?」
の言葉を聞いて、村神はあやめを指しながらそう云った。
「細かく突き詰めていくと全く違うものだが、同じ鍵であることには変わりはないな」
「そういうことね」
そこで会話は、もとい説明は終了してしまった。
と空目の間にも、それ以上のやり取りはない。
「……」
武巳も稜子も、只この空気に圧倒されていた。
ぼうっとしながら皆を見回していると、武巳はと視線がかちあって、はっとした。
「…素人には、気をつけてね」
は柔らかく笑っていた。
















が、話を反らしたいときなどによく難しい話、オカルトな話をし出すということは前から薄々わかっていた。
説明下手で、不思議なことに、自分でわかっていることは相手も当然わかっているかのように話す。
細かく説明を求めても、どこがわからなくて説明してほしいかがてんでわかっていないようなのだ。
それから、よく言葉の意味を取り違えた。
長い文章を話し始めると、始めと終わりとでは云っていることが違ったりもした。
友人だというのことも、まるで全員共通の友達のように話した。
とは、つまりそういう人物だった。
そしてびっくりするぐらい、数学の成績だけは良かった。
「俊也ー?また微妙に違うよ、そこ」
「…………これか?」
「ううん、こっち。ここがね…」
部室の隅で、と村神は勉強会を繰り広げていた。
勉強会と云っても、教師に生徒村神の家庭教師と化していたのだが。
何故そんなものが始まったのかは、本人達しか知らなかった。
「じゃあ次この問題。この不等式を数学的帰納法を用いて証明せよ!」
「この手の証明なら得意だ」
「そこは文系の本領発揮だね」
勉強している割に結構賑やかじゃないかと思いながら、武巳はそれを眺めていた。
「ばっかやろー…」
「何、いきなり」
「べぇっつにー」
妙に間延びした口調で、武巳は稜子に返した。
そんな二人を、今度は亜紀が見ていた。
が来てからなんか部の雰囲気変わったね」
周囲の状況には全く頓着していない様子の空目に、亜紀は話し掛けた。
「マネ業してくれる奴がいて便利ってのもあるけど、人間関係が主に」
「…そうだな」
ふう、と、空目にしては珍しく感慨深げに息を吐いて、足を組み替えた。
「村神も雰囲気柔らかくなった気する。近藤は逆に刺々しくなったかな?」
滅多に他人の評論などしない亜紀が、そんなことを云いながら笑っていた。
他人に自分を分析されるのはまっぴらごめんだと思っている亜紀は、自分でもそんなことなどしたくないと思っているのだろうな、というのは周知の事実だった。
だがたった今それが少し覆った気がする。
「…木戸野も少しだが変わった」
特に気分を害した様子もなく亜紀は空目を見た。
「恭の字もだよ。どう?妬いたりしてるんじゃないの」
下世話な話は、武巳や稜子がしているのを聞くだけで充分、といつもは云っているが、いかんせん相手は魔王陛下だ。
興味を持つなという方が無理難題で。
「嫉妬か?」
「そ。素直で可愛いに取られちゃうかもよ、村神」
こんな安い挑発に乗ってしまったらもう、目の前にいる人物は魔王陛下などではないな、と思いながら。
思いながらも面白い展開を期待していなくもないが。
「…平気だろう」
事もなげに云い切ると、空目はハードカバーの、武巳に云わせると『えらくごつい』本を開いた。
「何その自信…」
拍子抜けするぐらいあっさり終わってしまったこの会話に対して自嘲気味にそう云うと、だがやはり相手はあの空目だからこんなもんか、と亜紀は思考をそこへ落ち着かせた。
そして空目と同じく読書でもしようかと目線を下げたのだが。
!」
突然響いた声にすぐ顔を上げることとなった。
「武巳?」
呼ばれたもきょとんとしていた。
お構いなしに武巳はの腕を引っつかみ、廊下へ引っ張って行った。
「ちょ…っ、武巳ー!?」
大人しく、という訳でもないが、そう抵抗もしていないは、ずるずると引っ張って行かれ、部員一同はその後ろ姿を大人しく見守っていた。
「……村神クン何かした?」
「いや、身に覚えは…」
云いながら、村神はパイプ椅子を引っ張って空目の隣までやって来た。
「……」
その村神に、亜紀は変な視線を送った。
やっぱりあんたの帰ってくるところはいつもココなのか、と。
村神はその視線の意味がわからず首を傾げただけだった。












「武巳!」
「…お前!………ッ、」
中庭まで来たところでやっと、お互い口を開いた。
「何」
「…」
は詰問でもするような口調で云った。
「…云いたいことがあるならちゃんと云ってよ。こないだからこんなんばっかじゃん」
「お前が、……がさ、」
「…俺が、何?」
急に優しくなった口調で、は先を促した。
「……」
武巳は言葉を詰まらせた。
「言魂ってね、凄い力があるんだよ」
「…」
「でも力を発揮するには、まずそれを…言葉を口から発しないといけない」
「…?」
「ん?」
は静かに微笑んだ。
「お前話逸らすときいっつも難しい話始めんのな」
「え…そうかな?」
は苦笑した。
多分自覚はあったのだろう。
「…そうだよ」
武巳もつられて笑う。
「よく見てるね」
「よく見てなくてもわかるっつの」
「……」
「………」
沈黙。
武巳が言葉を探しているのを、が只待っているような感じだった。
「…最近、村神と…仲良いんだな」
「……」
武巳の言葉に、はきょとんとした。












「話してると、近藤のことばっか云ってたぞあいつ」
稜子に尋問されて、とどうして最近急接近しているのかをあらかた喋らされた村神は、心なしか疲れた顔をしていた。
長く喋るのに不慣れだからなのか、または慣れない話題の中心にいるからなのか。
「惚気話?」
「そういう訳でもなさそうだったな。自分と知り合う前の近藤を知りたい、とか云ってたか。まぁ俺らのことも一緒にさ」
「…それが何で村神なんだかね」
合いの手として云ってみた、というだけだったらしい亜紀は、空目に視線を遣った。
「…良かったね、恭の字」
「何がだ」
「村神」
短くそれだけ云うと、亜紀は今度は窓の外を見た。
よく晴れていた。












「…信じていいのか、それ?」
「信じてよ」
軽い口調で云うを、武巳は単純に信じようと思った。
一生懸命拙い語彙力を駆使するを見ていたら、何だか疑っている自分が馬鹿みたいに思えてきたのだ。
理由はわからないが。
「…ヤキモチってゆーやつ?」
「…ん。だって村神背高ぇし運動能力なんか郡を抜いて凄ぇし、俺じゃやっぱ駄目だったのかなーって思うじゃん」
「俊也には陛下がいるのに?」
「でもお前の気持ちが完璧にあっち向いちゃってちゃ駄目じゃん」
「うーん…」
武巳の心境を、なりに理解しようとしていた。
「お互いが、お互いの為に必要だったんだよね」
ぽつりとが云った。
「…誰と誰の話?」
「俺と俊也」
武巳は話が全く掴めなくて、を暫く見つめていた。
「俊也は陛下に近付きたかったから俺にオカルトな話を聞いたし、俺も武巳を知りたかったから俊也にこれまでの武巳の話を聞いた。お互いがそれぞれ、自分の相手の為に必要だったんだよ」
「…」
そう云ってはかなげに笑うを、武巳はそっと抱き締めた。












「村神クン乙女ー」
「誰が乙女だ!」
「そうだよ稜子。こんな図体でかい乙女がいてたまるもんですか」
「云い得て妙だな」
「でしょう?」
うっかり口を滑らせて自分と空目のことまで漏らしてしまった村神は、稜子により根掘り葉掘り聞き出され、亜紀によりこき下ろされ、そして空目により話を肯定され、心身共に疲れ果てていた。
「…味方がいねぇ」
早く武巳とは帰ってこないものか、という願いも虚しく、二人が次に部室に顔を出したのは、翌朝のことだったとか。




















END




****************
うんちくばっか。
途中までは楽しかったんですが。
最後の方、どうやって現実に帰ってこよう、と凄く悩んだ。
悩んだら、結局あんまり帰ってこれなかった。でした。大爆
でたらめなうんちくばっかりなので、信じないで下さいね。笑




2005.8.9